麻生八幡神社は麻生山(あそうさん、小富士山、172m)南麓に鎮座されています。
麻生山の元の名は大己貴命(大国主命)にちなみ「醜男山(しこおさん)」。神功皇后(321年〜389年)の故事により麻生と改められた。
神功皇后が新羅遠征に行く途中、麻生山に登り、大国主命に戦勝を祈願して弓で地面を叩くと麻が生えてきた。この麻で弓の弦を作ったと云う。
その弓で矢を放ち、第一の矢は印南郡的形にあだ矢となって落ち、第二の矢は飾磨郡安室辻井に、第三の矢は太市郷西脇山中の大磐石に当たって岩を三つに破った。
矢が落ちた所は破磐のわれ岩、矢落の森などの伝説が残っています。
麻生八幡神社については姫路市教育委員会の説明があります。
祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の三 柱。
姫路市教育委員会
創建年代については不明であるが、伝承によると西征の神功皇后が麻生山に登り戦勝を大国主命に祈ったことに基づいて八幡三神を祀る一社を創建したことに始まると言われている。
中世には、石清水八幡宮領継荘の鎮守として繁栄し、現在は継と奥山地区の氏神となっている。
神門は元禄六年(1693)の建立であったが、平成四年に新築され、参道の石鳥居は弘化三年(1846)の建立である。
神門には随臣がいました。
拝殿内部には絵馬が飾られています。
敬神生活の綱領という額がありました。
敬神生活の綱領
一.神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀に、いそしむこと
一.世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一.大御心をいただきて むつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
こういう心掛けでいたいものです。