青山地区は矢落の森、稲岡山の稲岡神社、柿本人麻呂の人丸神社、黒田官兵衛の青山古戦場など、いろいろな物語がある史跡が残っています。
和泉式部が書写山の性空上人を訪ねたという物語が和泉式部縁起絵巻に描かれ、書写山には和泉式部の歌碑があります。
そして和泉式部が書写山に性空上人を訪ねていく途中、青山の歌書が淵にあった大きな岩に腰掛けて歌を詠んだという言い伝えがあります。
和泉式部の腰掛石は稲岡山の東麓の青山八景の「歌書秋月」と同じ場所にあります。
このあたりは夢前川の流れによって淵になっていたところで、「歌書が淵」と呼ばれていたといいます。
看板の横にある岩が和泉式部の腰掛石です。女性が座るには大きすぎるような気がしました。
ちょっと残念ですが、和泉式部が書写山まで来て性空上人に会った可能性は低いようです。
和泉式部が中宮彰子に使えたのは寛弘六年頃(1009)。性空上人が亡くなったのは寛弘四年(1007)。したがって、和泉式部が中宮彰子らといっしょに書写山に来て性空上人に会ったというのはないそうです。