加古川・志方八幡宮

志方八幡神社にお参りしました。志方八幡神社は加古川60選に選ばれています。
以下の説明が書かれていました。

天永二年(1111)宮谷に創祀され、明応元年(1492)現社地に奉還して八幡神を勧請しました。古来、厄除け安産の神、交通安全の神として高く崇敬され、播磨三社八幡の一つです。志方荘30か村を鎮守したといわれ、祭神は、応仁天皇、神宮皇后、玉依比売命です。明治の初めまで、毎年秋の祭礼に奉納されるほど、能楽が盛んでした。毎年10月の神幸式では、新しい型の舞楽、胡蝶の舞(正式名称「和光楽」)が奉納されています。

明応元年(1492)に神社を移したのは志方城主 櫛橋左京亮伊則です。
黒田官兵衛の妻 光姫の櫛橋家。櫛橋家は歴史の古い家でした。

神社の方へ坂道を登っていくと宮山古墳群の看板、稲荷神社がありました。
どこが古墳かわかりませんでした。石がゴロゴロしていたところが古墳だったのでしょうか。

宮山古墳群の看板
稲荷神社

さらに坂道を登っていくと随神門が現れました。

志方八幡宮は天永2年(1111)の創建で、御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依比売命です。
厄除・安産の神様で、交通安全の神様でもあられます。

多くの絵馬が奉納されています。

拝殿の天上には花の絵が描かれています。天井画の花の名前を説明するボードが用意されていました。

天上画

本殿の周りに多くの社が建てられています。

能楽堂
えびす社

秋祭りには、能楽堂で胡蝶の舞(正式名称「和光楽」)が奉納されるのでしょう。見てみたいと思いました。
境内にはその他に日読社、月読社、市杵嶋姫社、大地主神拝所、皇大神宮遥拝所、神輿庫があります。

神社の裏側へ行くと鐘楼、更に進むと誠忠碑がありました。

鐘楼
誠忠碑

志方八幡神社は立派な神社でした。古くは櫛橋家と関係があり、地域を通じて人・歴史はつながっていることを感じました。