大日地蔵・姫路最明寺

姫路市野里にある最明寺。
お寺の前にある看板には次の説明があります。

法道仙人の開基伝承をもつ。高野山真言宗。鎌倉幕府執権北条時頼が再建したといい寺名は時頼出家後の号「最明寺入道覚了房道崇」にちなむという。室町時代の作とされる謡曲「鉢の木」で著名な佐野源左衛門の地という。佐野源左衛門尉常民は上野佐野庄(群馬県高崎市)ゆかりの鎌倉御家人とされる。
最明寺はかつて八丁四の境内に塔頭諸坊があったというが、現本堂は塔頭の薬王院の建物という。境内には寛延元年(1748)の手洗石、市川川原刑場の刑死者を弔う供養塔や修因地蔵がある。
 増位中学校区夢プラン実行委員

今は普通の家のような感じで、小さいお寺ですが、昔は鎌倉幕府の北条家とも関係があるお寺だったようです。
しかも「鉢の木」の主人公 佐野源左衛門と関係がある!
驚きました。
さらに、その佐野源左衛門の墓の伝承がある!

最明寺

山門をくぐると十王堂があります。十王堂とはあの世で死者の罪を裁く十人の裁判官を祭った堂です。

最明寺山門
十王堂

十王堂の前には修因地蔵大菩薩があります。

次のような縁起が記されています。


往昔、市川の河原は刑場「大日」であったとか、多く刑人が露と消えたことでせう。処刑の前、当地蔵尊に自己の罪と悪縁を修「納」め善縁を得て転生するを深く願った。依って修因と名づく。

大歳神社

次に佐野源左衛門の墓があるという大歳神社に移動しました。
歩いて5分程度のところにあります。

お墓そのものはありませんでしたが、佐野源左衛門の墓の看板がありました。

ここにも増位中学校区夢プラン実行委員会の説明看板がありました。

鎌倉時代、謡曲の「鉢の木」にでてくる歴史上の有名な人物である。佐野は最明寺の普請奉行として尽カした。この功績にむくいるために石碑が建立された。「飾磨郡誌」では「近時寺内墓地に佐野源左衛門の墓と称するものあれど、信ずるに足らず」とあり、一方昭和4年の「姫路市街全図」では「謡曲鉢木佐野源左ヱ門ノ墓」と記してある。
 増位中学校区夢プラン実行委員会

さすがに、佐野源左衛門の墓が姫路にあるとは信じにくい。でも、本当だったらおもしろい。

大歳神社は最明寺と同じく、北条時頼に関わる神社であったようです。
江戸時代の石造物が多く残されています。

慶応三年(1867)の石鳥居
本殿
手洗石 正徳二年(1712)
狛犬 文久二年(1862)
延宝四年(1676)などの石灯籠

※「鉢の木」のあらすじ
旅の僧 (実は北条時頼)
が大雪の夜,佐野源左衛門常世のわび住いに宿り,秘蔵の鉢の木を焚いてもてなされる。のち鎌倉に帰った時頼は,幕府の危急の際にははせ参じるという常世の言をためすため,諸国の軍勢を集めるが,常世が言葉どおりにはせ参じたので,鉢の木の梅,桜,松に縁のある領地を与える。

※十王 十王堂に祀られるのは以下の10名。
泰広王(不動明王)、初江王(釈迦如来)、宗帝王(文殊菩薩)、五官王(普賢菩薩)、閻魔王(地蔵菩薩)、変成王(弥勒菩薩)、太山王(薬師如来)、平等王(観音菩薩)、都市王(勢至菩薩)、五道転輪王(阿弥陀如来)。
この仏様達によって、死者は7日おきに7回裁かれます(初七日〜四十九日)。七回で決まらない場合は、3回追加されます(百ヶ日忌、一周忌、三回忌)。
法事の日程にはこういう意味があったのを知りました。
なんか、合理的な感じがします。