大石神社は大正元年(1911)赤穂城三の丸に建立されました。
大石神社のホームページによると「ご祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀してある。」ということです。
森家七代の武将とは森可成、森可隆、森長可、森長定(蘭丸)、森長隆、森長氏、森忠政。
父の森可成と6人の息子です。
森忠政以外、父の可成も含めて全員戦死しています。
父の可成は坂本の合戦、可隆は越前朝倉攻め、長定(蘭丸)、長隆、長氏の3名は本能寺の変、森長可は小牧・長久手の戦いで討ち死にしました。
忠政は豊臣秀吉・徳川家康と移り変わる世を生き延び津山藩18万石の大名になります。その後、宝永三年(1706)森長直が赤穂に入府しました。
門までの参道の間、四十七士が迎えてくれます。
門の中に入ると大石内蔵助が待っていました。
この像は、元禄十四年3月十九日の早朝、主君浅野内匠頭長矩が江戸城中で吉良上野介に刃傷に及んだという凶報が早打によってもたらされたので、藩士総登城を命じ、自らも急ぎ本丸に赴かんとする姿である。
大石内蔵助像の説明板による
義士宝物殿・別館、義士木像奉安殿、大石邸長屋門・庭園を見させていただきました。
神社には大石内蔵助邸の庭園が隣接しています。
樹高21mの大きな楠。樹齢は300年以上と言われています。
看板に「討ち入りは元禄15年(1703)なので、刃傷の早駕籠が大石邸長屋門に到着したことや、大石内蔵助が討ち入りをしてことを知っているのではないか」と書かれていました。
大石邸の長屋門を使って、江戸からの急使と対面する大石内蔵助が再現されています。
忠臣蔵のパワーがすごいです。
松の廊下の刃傷から始まって、いろいろなことがあり、最後には討ち入りを成功させる。
不謹慎だと思いますが、それによって江戸から今に至るまで語り継がれる物語、観光資源を作った。
大石内蔵助は赤穂のヒーローでしょう。