赤穂市立田淵記念館は江戸時代 塩田、塩問屋を経営してきた田淵家から寄贈された美術工芸品などを展示しています。
館内に掲示されている「田淵家の系譜」という資料に以下のような説明があります。
- 田淵家は延宝元年(1673)より川口屋と称して塩田、塩問屋、大名貸しを営んでいた。
- 延享5年(1748)には藩の蔵元に任命され、このとき田淵姓を名乗ることを許された。
- 文化・文政期(1804〜1830)には約106町歩の塩田を所有し、日本最大の塩田地主になっていた。
106町歩=106ヘクタールで、だいたい甲子園球場28個分の広さになります。ものすごいお金持ちだったんでしょう。
寛政2年(1790)以降、たびたび赤穂藩主を屋敷に招いてもてなしたそうです。そのときに使った食器類も展示されています。
また、記念館に隣接する田淵家の庭は、田淵氏庭園として国の名勝に指定されています。年2回公開されるようです。
雲火焼道安風炉という焼物が展示されていました。
風炉とは茶釜を火に掛けて湯をわかすための炉で、こういう形のものを道安風炉というそうです。
雲火焼は兵庫県のホームページで次のように説明されています。
江戸時代後期に始まる赤穂雲火焼は、大嶋黄谷により創出されたもので、陶土不明、焼成方法不明の幻の焼き物とされていました。
象牙色の陶肌に黒色を加味した赤く燃え上がるような夕焼け雲を連想させる独特の紋様が特徴で、昭和54年ごろから復元の取り組みがなされ、さまざまな苦心の末、昭和57年には復元に成功し、現在では、赤穂の新しい郷土工芸品として親しまれています。
展示されているものは雲火焼を編み出した大嶋黄谷本人が作ったものです。
どれもすごく上品でした。