平福の外れにある正蓮庵は若い頃の武蔵が修行した場所とされています。
正蓮庵と武蔵
正蓮庵の看板より
正蓮庵は応永年間(一三九四〜一四二七)、 近くの行者山に、正蓮社円誉上人基元大和尚が来て、この山を祀り、麓に正蓮寺を創立したのが始まりである。
永禄年間(一五五八〜一五六九)、寺は平福の西山に移転して、寺号を鷲栖山正覚寺と改めて今に至る。
しかし、本尊はここを動こうとしなかったため、ここに仏像を残し、正蓮庵と号した。
ここは今も、人々の信仰を集め、百万遍の数珠まわしなどの行事が行われている。
かって、この庵に平福の名家田住家の縁続きとなる道林坊(利神城主別所静治の三男)という僧がいた。武蔵は、武道に熟達した学僧であったこの道林坊のもとにあづけられ、およそ九歳のころから、十三歳で平福の町外れ金倉橋のたもとで、有馬喜兵衛と初決闘を果たすまで、この地を舞台に、庵村の山野を跋渉しながら、厳しい修錬の少年時代をおくって行くのである。
幼い武蔵は13歳で有馬喜兵衛と対決するまで、ここで激しい鍛錬をしたんですね。