姫路市香寺にある恒屋城跡を見に行きました。
恒屋城は長禄元年(1457)に恒屋光氏が築城したと伝えられています。織田・羽柴秀吉の播磨平定時、毛利方についたため、落城。恒屋一族は黒田官兵衛を頼って九州へ移ったそうです。
恒屋城跡
説明看板より
城山山頂に位置し、南側の前城と北側の後城からなる中世の山城である。多数の曲輪群が築かれ、南西斜面の畝状空堀群、後城にある折のある横堀、土塁などの遺構が良好に残っている。
十五世紀中頃に赤松氏の幕下恒屋氏が築き、天正年間に羽柴秀吉により落城したと伝えられるが、確たる資料に乏しい。
恒屋川対岸の山麓一帯には、平地居館と目される遺構も見られる。
昭和五十二年 姫路市(旧香寺町)指定史跡
令和元年(二〇一九年)五月 姫路市教育委員会
恒屋城は山城で標高は236m。登山道も整備されていて、登りやすいです。
前城にあるお堂には恒屋伊賀守光氏が祀られています。お堂の前は畝状竪堀というかまぼこ状の空堀が作られています。草が生えているので、どんな形かわかりませんでした。


お堂の後ろには「ごーりんさん」という、戦国時代の野戦で死んで無縁仏になった侍の霊を祀る五輪塔が並んでいます。

前城から本丸の後城までは10分程度歩きます。
次々と城跡を示す遺構が現れます。看板があるのでわかりやすい。


本丸は表高236mの頂上。そんなに広くないですが平らになっています。
そして「盗掘跡」の看板があります。昭和10年頃、城跡に金銀財宝が埋蔵されているといううわさが流れて、穴が掘られたようです。「ゴミ捨て場ではありません」と書かれているのがおもしろい。
ゴミは山に捨てずに、自分で持って帰らないと。

