船場本徳寺と飛地境内の御山廟所にお参りしました。
船場本徳寺は真宗大谷派姫路船場別院といい、東本願寺派のお寺です。
本徳寺のパンフレットによると、次のような歴史があります。
- 明応元年(1492)本願寺の蓮如上人が法泉坊空善らを播磨に派遣した。空善たちは英賀に道場を建立し布教活動を行う。
- 永正12年(1515)英賀本徳寺本堂が建てられる。英賀に寺内町が形成され、西国方面の一大拠点となる。
- 天正8年(1580)羽柴秀吉が英賀城を攻略する。
- 天正10年(1582)本徳寺は英賀から姫路亀山に移転させられる。
- 慶長7年(1602)本願寺派の東西分派に伴い、亀山本徳寺は東本願寺に帰属する。
- 慶長14年(1609)本徳寺とその門弟すべてが西本願寺に転派させられる。
- 元和4年(1618)姫路藩主・本多忠政、船場の土地を寄進。船場本徳寺が創立される。
- 宝永7年(1710)姫路藩主・榊原政邦、御山の土地を寄進。本徳寺の廟所を移転する。御山廟所が創設される。
- 享保3年(1718)本堂が完成。
- 明治18年(1885)明治天皇が船場本徳寺で宿を取る。(行在所)
- 昭和20年(1945)姫路大空襲。本徳寺は焼失を免れる。
本徳寺の本堂は大変大きく、姫路にもこんな大きいお寺があったんだと改めて思いました。本堂は戦争で焼けなかったので、作られた当時の姿をしています。
本堂の中にも入らせていただきました。仏教のことはわかっていないのですが、神々しさを感じました。
境内にも色々なものがあります。
お城のモニュメント
第一次世界大戦で捕虜になっていたドイツ兵が作りました。本徳寺はドイツ兵の捕虜収容所として使われていました。
捕虜は酒を買うこともでき、遠足も許可されたそうです。かなり寛大な扱いを受けたようです。
西南の役の碑
姫路に駐屯していた歩兵部隊は西南の役(明治10年)で767名の殉職者を出しました。明治12年、碑が建てられました。
行在所
明治18年、明治天皇が行幸された際に宿所として使われました。
元は安政年間(1855〜1860)に建てられた書院です。
大玄関
大玄関は修復工事が行われていました。
工期は2022年3月までです。
御山廟所
宝永7年(1710)姫路藩主榊原政邦から土地の寄進を受け、船場本徳寺境内にあった廟所が移転されました。本堂と御廟所は東本願寺大谷祖廟を模した造りとなっているそうです。