豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた若い頃に建てたという墨俣一夜城。
お城の形をした資料館になっていました。
秀吉の出世のすごさがアピールされていました。
豊国神社には「出世之神」の幟です。
お城の形で再現されていますが、本当は砦のようなものだったらしいです。
蜂須賀小六らの助勢を得、川を筏で下り、プレハブ方式で、一夜にして砦を築く。砦が発見され、敵の攻撃に耐え、死守した。
墨俣城の効果によって、斎藤氏の稲葉山城を攻略でき、秀吉が出世の糸口をつかんだとされています。
城の中には秀吉に関する資料がたくさん展示されています。
山崎の合戦の地図が面白いと思いました。今はJRで大阪から京都へ向かうと、左手に山崎、天王山が見えます。平原で戦われたと思っっていたのですが、合戦は淀川のすぐ脇で、淀川に流れ込む支流の川をはさんで戦われていました。
全く、イメージが違いました。
秀吉の句碑がありました。
日のもとに またから国も 手にいるる
ゆたかなる 世の はるにあふかな
秀吉の絶頂のときの句だそうです。
中国も征服できると考えていたようです。
ここまで自信家だと、、、