神戸と勝海舟

江戸城明け渡しなどで活躍した勝海舟。
幕臣で江戸っ子のイメージを持っていましたが、神戸にゆかりがあり、神戸発展の基礎を築いた人物でした。

勝海舟は文政6年(1823)、江戸深川両国に生まれました。
両国公園に「勝海舟生誕の地 記念碑」が建てられています。
勝海舟のバイオグラフィーが示され、勝海舟がどのような人生を歩んだかがよくわかります。

勝海舟生誕の地 記念碑

港区赤坂の屋敷跡には弟子でもあった坂本龍馬との像が建てられています。
二人の出会いは文久2年(1862)。
坂本龍馬は勝海舟を暗殺しようと会いに行ったが、勝海舟に魅了されてしまい、勝の弟子になってしまうという話が有名です。

勝海舟・坂本龍馬の師弟像

二人の出会いから2年後の元治元年(1864)。勝海舟の建白により、神戸小野浜の地に海軍操練所が開設されました。
JR三ノ宮駅からまっすぐ南に行った所にイカリの形をした海軍操練所の碑が建っています。

海軍操練所は兵学校、機関学校、海軍工厰を総合した組織で、勝海舟が責任者です。
ここから坂本龍馬、陸奥宗光、伊藤祐享など、多数のの人材が育ちました。
しかし、同年に起こった禁門の変に操練生の一部が反幕軍として参加していたため、海舟は軍艦奉行を解任され、操練所は慶応元年(1865)に閉鎖されてしまいました。

海軍操練所の碑

海軍操練所の碑の西側 300m のところにある、みなと公園には神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑が建っています。

西側が陸奥宗光を讃える陸奥宗光顕彰碑、東側が海軍営之碑です。
陸奥宗光は海軍操練所出身で、第4代兵庫県知事を務め、伊藤博文内閣の外務大臣として不平等条約の改正を成し遂げました。
ちなみに陸奥宗光の奥さん 陸奥亮子はすごい美人です。

神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑

みなと公園の海軍営の碑はレプリカで、本物は諏訪山公園にあります。

海軍営の碑は海軍操練所の成り立ちを記したもので、勝海舟直筆の碑文が刻まれています。
操練所があった小野浜に建てられるはずでしたが、操練所が閉鎖されたため、勝海舟と親交のあった生島家に預けられ、大正4年(1914)に諏訪山公園に建てられました。

海軍営の碑

神戸は海軍操練所ができてから港町として発展が始まったそうです。
そこに多くの若者が集まり、坂本龍馬や陸奥宗光などの日本の将来を担う人材が育った。
ダイナミックな時代の動きを感じました。