雑司ヶ谷にある鬼子母神堂におまいりしました。
鬼子母神という名前から神社だと思っていましたが、近くにある日蓮宗の法明寺の飛地境内に建つお堂ということでした。
鬼子母神堂が建つ雑司ヶ谷3丁目の標高は約30m。登り坂は意外と急でした。
境内に入ると左手に大きな銀杏(イチョウ)がそびえています。
「子授け銀杏」と言われ、高さ30mの巨大な木です。応永年間(1394〜1428)に日宥僧正によって植えられたと伝えられています。樹齢は600年以上になりますが、樹勢はさかんということで、大事に守られて1000年を越すような大木になって欲しいです。
「子授け銀杏」の脇の朱色の鳥居をくぐっていくと稲荷神社があります。武芳稲荷大明神という神社で、倉稲魂命(うけみたまのみこと)がおまつりされています。
鬼子母神堂ができる前からご鎮座され、この地は稲荷の森と呼ばれていたそうです。
境内の看板によると、お堂の建築は以下の歴史がありました。
永禄4年(1561)に鬼子母神像が掘り出される。
天正6年(1578)、現在地に堂が建てられ、安置される。
寛永2年(1625)に社殿の造営が始まる。
寛文6年(1664)に本殿の開堂供養が行われた。
長い時間をかけて、現在の形に整えられていったことがわかります。
鬼子母神は子供を殺して食べる恐ろしい鬼女(ハーリーティ)でした。
子供を殺すハーリーティを見たお釈迦様がハーリーティの子供を隠します。我が子を探すハーリーティ。お釈迦様に諭され、子供を失う悲しさ、命の大切さを知ったハーリーティは改心し、安産、子育ての神様になりました。
このため、安産、子育ての神である鬼子母神堂の「鬼」にはツノを表す”ノ”がないそうです。
こういう話が伝えられてきて、それを聞いた人の心に影響してきたということは素晴らしいですね。古い話と切り捨てず、色々と知っておきたいと思えました。