明暦3年(1655)の大火のあと、日本橋にあった遊郭(元吉原)が千束村に移転しました。
そこから約300年。吉原遊廓(新吉原)の長い歴史の始まりです。
台東区千束にある吉原神社は玄徳稲荷社や榎本稲荷社などの5社が明治5年(1872)に合祀されて創建されました。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁財天・市杵嶋姫命です。
鳥居の脇にある逢初桜は恋焦がれている人に初めて会うというご神木。
吉原入口の玄徳稲荷社に植えられ、遊客の出逢いを叶えてきました。
初代逢初桜は明治44年(1911)の大火で焼失。現在の2代目逢初桜は平成24年(2012)に植樹された枝垂れ桜です。
神社の土地をお守りしている地中の神様、お穴様。
心を込めてお詣りすると、必ず福を得られると伝えられています。
吉原弁財天本宮
少し離れたところに吉原弁財天本宮があります。
昭和9年(1934)に吉原神社が現在地に移転したときに吉原弁財天は合祀され、吉原神社の飛び地境内となりました。
この神社には悲しい歴史があります。
大正12年(1923)に発生した関東大震災。火災から逃げようとした遊女たちが、廓内にあった弁天池に飛び込み、490名が溺死するという悲劇です。
溺死した遊女たちを供養する吉原観音像が大正15年(1926)に建てられました。
遊女が飛び込んだという池は埋め立てられ、今では小さなものになってます。
本宮社殿は平成24年(2012)に改修され、東京芸術大学の学生によって壁画が描かれたそうです。
吉原遊郭の繁栄、吉原が江戸文化を担っていたという歴史を伝えようという花吉原名残碑。
昭和35年に建立されました。
吉原の文化や繁栄とともに、起こった悲劇のことも伝えられれば、と思いました。