高野山を訪問しました。
今年は真言宗の宗祖・弘法大師空海の生誕1250年です。高野山では色々なイベントが行われています。
今回は中の橋参道を通って奥の院を目指しました。
門柱には「南無大師遍昭金剛」と書かれています。仏教は「南無阿弥陀仏」というものだと思っていたのですが、真言宗の場合は「南無大師遍昭金剛」というそうです。知りませんでした。
南無大師遍照金剛」は「弘法大師空海に帰依する」という意味とのことでした。
高野山には約20万基の墓、供養塔が建ち並んでいます。山全体が大きな墓場、霊場です。
織田信長、豊臣秀吉、明智光秀といった武将の墓があり、敵味方関係なくお祀りされています。
浄土宗を開いた法然上人の墓もありました。「別の宗教の開祖さえも受け入れるのが高野山の度量の広さだ」とガイドの方が言われていました。
参道を歩いていくと最後は御廟橋。ここから先は御廟霊域です。
この日は奥の院の燈籠堂から弘法大師の御影がある地下に行くことができました。
ここでは、弘法大師は今なお生きて、禅定(瞑想)をしておられるとされています。
弘法大師が入定されたのは承和2年(835)。それから1200年近く、その教えを守ってこられているがすごいと思います。
弘法大師空海の生誕1250年のイベントとして金剛峯寺では本尊「弘法大師坐像」が特別公開されていました。
檜皮葺の大きな屋根です。屋根の上に桶が置かれています。桶は天水桶といい、雨水をためておいて、火事になったとき、その水で消火し、火が燃え広がらないようにするものだそうです。
玄関から堂の中に入りました。いろいろな部屋があります。襖絵がきれいで、迫力があります。四面全部に襖絵が描かれていると、立体的な効果があり、平面的な絵とは違った感じがします。
また、関白・豊臣秀次が切腹した「関白秀次自刃の間(柳の間)」というのもありました。豊臣秀次はここで亡くなったのですね。
庭もきれいです。
高野山にはたくさんの寺が集まっています。総本山金剛峯寺という言葉があり、この場合は金剛峯寺の一寺のみを言うのではなく、高野山全体を意味し、「一山境内地」、高野山全体がお寺ということでした。
弘法大師が弘仁7年(816)に開創されてから約1200年。長い歴史の中で日本一の聖地・霊域になりました。宗教の力はすごいと思いました。