瀬田の唐橋を渡りました。
全長は224m。特に長いわけではありませんし、特別にキレイというわけでもなかった。
昔から、この橋をめぐって戦いが繰り広げられたということで、「瀬田の唐橋」という名前だけを記憶していたのだと思います。
橋のたもとに橋守地蔵というのがありました。
昭和51年(1976)に撤去工事中の橋脚の土中から出現された石仏がおまつりされています。作られたのは室町時代末期(天文14年/1545年?)と鑑定されています。約400年も川の中で橋を守ってこられました。
これからはこの祠から、橋を守り続けてくれるでしょう。
この祠の側面に唐橋の架け替えの歴史が記されています。
天文14年(1545)からの記録ですが、何度も何度も架け替えが行われています。この回数には驚きました。いかに重要な橋だったかがわかります。
また、瀬田の唐橋には俵藤太秀郷がムカデを退治したという伝説が伝えられています。
誰もが恐れる瀬田橋に横たわる全長66mの大蛇。剛勇の藤原秀郷は大蛇を恐れず、その背をまたいでいった。すると大蛇はおじいさんに姿を変え、「大蛇を恐れぬ勇者を待っていた。大ムカデが琵琶湖の魚を食い尽くしてしまい、困っているので退治して欲しい」と秀郷に訴えた。
ムカデ退治を引き受けた秀郷。
しかし、相手は近江三上山を八巻きするほどの巨大なムカデ。一の矢、二の矢を射るも効き目がない。そのとき、ムカデは人のツバキを嫌うということを思い出した。唾をつけた三の矢を放つと、見事にムカデを射抜き、退治することができた。
おじいさんから秀郷は橋の下の竜宮に招かれ、帰りには一緒食べきれないほどの米俵をもらった。そこから俵藤太の名がついたと伝えられる。
橋守地蔵から少し入ったところに龍王宮秀郷社があります。
大神霊龍王と藤原秀郷がおまつりされています。
この神社には「伝説の真意」というのが掲示されていました。
それによると、「ムカデの足のように多くの軍勢を引き連れた平将門を、秀郷が平定したことが伝説になった」というようなことが記されていました。
唐橋にはビワイチの出発の地モニュメントがあります。
ここから走ると、近江大橋でショートカットしない全長196kmのコースになります。
サイクリストが出発していきました。
健闘を祈ります。