NHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルとなった牧野富太郎博士の記念庭園を訪問しました。牧野富太郎記念庭園は西武池袋線の大泉学園駅から徒歩10分の所にあります。
関東大震災を受け、収集された標本や資料が失われることを恐れ、大正15年(1926)に移り住んだ自宅跡が記念庭園として公開されています。
記念庭園内には記念館、書屋展示室、講習室そして庭園があります。
記念館には牧野博士愛用の収集道具などの常設展示室と企画展示室があり、訪問した日の企画展は「牧野富太郎 草木とともに」というテーマで、博士が描いた植物図や植物の写真が展示されていました。
庭が素敵です。
博士は大正15年から昭和32年、94歳で亡くなられるまで、約30年間ここに住まわれました。
毎日、庭を散歩し、植物の観察を続けられたそうです。
本当に植物を愛しておられました。
庭園には博士の胸像がありました。今でも、植物を観察しておられるのかもしれません。
常設展示室には博士の年譜、博士愛用の収集道具、描画道具などが展示されています。
牧野博士が描かれた植物図は神業とも称されていますが、筆や絵の具といった道具は超一流の品が使われていたようです。
書斎は汚いです。足の踏み場もないくらいたくさんの書物、資料があふれかえっています。
でも、こういう状態であっても、見たい資料はすぐに見つけ出したような気がします。
会社にも、机の周りに資料の山を築いていても、何かを言うと、その山の中からすぐに資料を見つけ出す人がいます。
牧野博士は庭で植物を観察し、書斎で調べたり、書き物をしたりするのが本当に楽しかったのでしょうね。
しかし、家族の方のサポートがあったればこそ、博士もここまでできたのだと思います。
博士の妻は牧野(小澤)寿衛子。
子供は7人(他に夭折した子が6人)で、さらに牧野先生そのものが一番の金食い虫で、やりくりするのは大変だったそうです。
寿衛はここ練馬区大泉に土地を買い、家を建てます(それが今の記念庭園です)。
寿衛は家を建てた直後に亡くなりますが、娘さんたちが父・牧野博士を助けます。
父の一生懸命やっている姿を見ると、応援せざるを得なかったのでしょう。牧野博士の一生懸命さはみんなに愛されたのだと思います。
博士は通常の高等教育を受けてません(尋常小学校中退)。でも好きな植物研究に邁進され、言葉は悪いですが、素人の趣味を日本最高レベルまで高め、「日本植物学の父」となりました。
好きなことに一生懸命打ち込むことは大切ですね。