菅原孝標女が書いた更級日記。
現在の暦で寛仁4年(1020)9月22日に上総国府(現在の千葉県市原市)を京に向けて旅立った菅原孝標一行が竹芝寺に到着したことが記されています。
今は武蔵の国になりぬ。ことにをかしき所も見えず。浜も砂子白くなども無く、こひぢ(泥)のやうにて、紫生ふと聞く野も、蘆荻のみ高く生ひて、馬に乗りて弓もたる末見えぬまで、高く生ひ茂りて、中を分け行くに、「竹芝」といふ寺あり。はるかに、ははさうなどいふ所の、らうの跡の礎などあり。
この竹芝寺は三田にある済海寺とされているので訪問してみました。
済海寺はJR田町駅から徒歩で約15分の所にあります。
このあたりは三田台に続く丘陵地となっており、聖坂と呼ばれる坂を上っていきます。
「聖坂は古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野聖が開いた」という説明がありました。
菅原孝標女もこの坂を上ったのでしょう。
当時は蘆や萩が高く生い茂り、馬に乗って弓を持っている侍のその弓先ほどの高さまで生えている茂みの中をかき分けていったといいます。手つかずの自然が残っていたようです。
今の道を見ると想像もできません。
済海寺は元和7年(1621)に創建された浄土宗の寺院です。
境内には安政6年(1859)に最初のフランス公使館が設置されたという石碑がありました。
済海寺には更級日記と関連するものは何もありませんでした。
済海寺のお隣にある亀塚公園に亀塚と、この地を屋敷としていた上野国沼田城主・土岐頼熈が建てたという亀山碑があります。
亀塚は古墳と考えられている小山で、亀山碑は亀塚の頂部に建立されています。
頼熈公は、この地が更級日記の竹芝寺伝説の地であることや、神とあがめられていた亀が一夜のうちに石と化した伝説の由来を伝えるために建立したと考えれらています。
聖坂の下の方に亀塚稲荷神社がありました。
小さい神社ですが、この亀塚稲荷神社は石と化した霊亀をご神体としてお祀りしており、文永3年(1266)の銘がある港区内最古の板碑が残されています。
亀にまつわる伝説がこの地にあったようです。
更級日記の竹芝寺の段では都から姫様を連れ出した衛士のことは語られますが、亀のことは出てこないので、霊亀伝説はその後にできたものかもしれないなと思いました。