新橋の駅近くにある烏森神社は椙森神社(日本橋)、柳森神社(神田)とあわせて「江戸三森」の一社です。
新橋駅の烏森口から烏森神社に向かいます。
昔々、この辺りは江戸湾の砂浜で、カラスが多く集まる松林があったため、烏森という地名が付いたそうです。地名は昭和7年には新橋と変わりますが、新橋駅の出口の一つに烏森口として残っています。
しばらく歩くと、変わった形の稲荷が現れます。
ネットで調べると、鳥居は社殿の形に合わせてデザインされたとか。
社殿は1971年に竣工したもので、建築家の群菊夫氏のデザインということです。
コンクリート打ち放しの外観ですが、斜めの線とくの字に折れ曲がったところが神殿の屋根を感じさせます。
神社の縁起を説明する石板には「近代建築美の中に、神社本来の伝統を加味し、昭和46年12月氏子の熱意により竣工」とありました。
ご祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、天鈿女命(あめのうづめのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)です。
天鈿女命は天照大神が天岩戸にお隠れになられたとき、踊りを踊って天照大神に戸を開けさせた神様です。古事記によると、ほとんどストリップのような踊りで、それを見た神様たちは大喜びしたようです。で、天鈿女命は芸能の神様です。
烏森神社の創建に関しては、平将門が反乱を起こしたとき(天慶3年/940年)、追討を命じられた藤原秀郷が白狐から与えられた白羽の矢によって乱を鎮めることができた御礼として、烏森の霊地に神社を勧請したというエピソードが伝えられています。
室町時代の享徳4年(1455)には古河公方・足利成氏が戦勝を祈願し、その祈願状が宝物として残されているそうです。
このころ、足利成氏は享徳の乱の真っただ中で戦っていました。
足利成氏
鎌倉公方。関東管領・上杉憲忠を殺害をきっかけに享徳3年(1454)から始まる享徳の乱を起こす。戦いは公方軍(足利成氏)vs上杉軍+幕府(上杉を支援した)。その間、鎌倉を攻められ足利成氏は古河に移る(古河公方)。その後、古河において最期まで戦い抜いた。
享徳の乱は上杉・幕府側の内乱(長尾景治の乱)もあり、文明14年(1482)に足利成氏と幕府との和睦が成立した。28年という長い戦いだった。
享徳の乱の影響によって京では応仁・文明の乱が発生し、時代は下克上の戦国時代へ移っていった。
心願色みくじというのがありました。
叶えてほしい願いによって色を変えるということで、赤は恋愛、良縁、縁結び。黄は金運、幸運、商売繁盛。青は厄祓い、仕事、学業、技芸上達。緑は健康、家庭、がん封じ、子授け、安産、交通と旅行の安全です。
足利成氏だったら青を選んだでしょうね。それとも黄色か?