大阪、平野にある杭全神社には1000年を超える、平野の発展と切っても切れない歴史があります。
嵯峨天皇の時代(在位809~823年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の子の広野麻呂が杭全荘を賜り、ここに永住。そして、貞観4年( 862)に、広野麻呂の子の当道が杭全神社を創建したと伝えられています。
中世には周囲に環濠をめぐらした平野は自治都市として繁栄しました。
杭全神社の北側に環濠の一部が残っています。
赤留比売名神社の近くにある樋之尻口地蔵堂跡の図によると、杭全神社は環濠の最も北に位置し、その周囲は環濠に囲まれていたようです。
参道を進んでいくと巨大なクスノキがあります。
なんと樹齢は1000年。樹高は30メートル。周囲10メートルという巨大さです。
本当に太い!荒々しい生命力を感じます。
さらに進むと大門です。
杭全神社の建物では大門が最も古く、鎌倉時代に建造されたと考えられています。
この大門は国宝に指定される可能性があったそうですが、かないませんでした。
大正時代、神社の南に国道が整備されたため、夏祭りのだんじりを境内に入れなければならなくなりました。
しかし、だんじりを入れるには大門が低かったのです。
そこで、町の人たちは大門の下に台座を作り、かさ上げをするという大胆なことをやってしまいました。
だんじりは無事に大門をくぐることができるようになりましたが、文化財に手が加えられたということで国宝の指定は見送られました。
国宝より祭り! 町の人達の心意気を感じるエピソードです。
杭全神社には第一殿、第二殿、第三殿の3つの本殿があります。
杭全神社創建時に建てられた第一殿では素戔嗚(スサノオ)がおまつりされています。
第二本殿は元亨元年(1321)に建てられた熊野三所権現で、伊邪那美命(イザナミノミコト)、速玉男命(ハヤタマオノミコト)、事解男命(コトサカノオノミコト)がおまつりされており、建久元年(1190)に建てられた第三殿には伊弉諾尊(イザナギノミコト)がおまつりされています。
現在の第一殿は奈良春日大社から正徳元年(1711)に移築されたもので、第二殿と第三殿は永正10年(1513)に造営されたという記録があり、いずれも国の重要文化財に指定されています。
また、境内には連歌所があります。
宝永5年(1707)に再建されたという建物で、日本で唯一の連歌所です。
連歌は明治時代に廃れてしまいましたが、ここ杭全神社では昭和62年(1987)に連歌会が復活。平野法楽連歌会として定期的に催されているそうです。
古い歴史とだんじりの熱さ、そして連歌という文化。
杭全神社はいろいろな要素が混じりあった神社でした。