地獄から極楽へ・全興寺

聖徳太子が平野の野中に小さな庵を建立して薬師如来を安置したのが全興寺の起源とされています。そして、薬師堂ができてから人が住み始め、平野の町が広がっていったといいます。
樋之尻口地蔵のそばにある古地図を見ると、環濠集落であった平野の中心に全興寺があったことがわかります。

環濠の真ん中に全興寺がある

地獄から極楽への体験ができるという全興寺。境内にはいろいろなものがありました。

本堂

本堂は天正4年(1576)に建てられました。
聖徳太子が作られたという本尊・薬師如来像や首の地蔵尊がおられます。

本堂

首の地蔵尊
元和元年(1615)の大阪夏の陣。徳川家康が樋之尻口に来ると予測した真田幸村が、地蔵堂に地雷を仕掛けた。予想通り徳川家康がやってきて地蔵堂に入ったが、小用をもよおして地蔵堂から離れたとたん、地雷が爆発し、家康は命拾いした。そのときの爆発により地蔵尊は首から上が吹き飛ばされ、約300メートル離れた全興寺に落下した。

地獄堂

地蔵堂

地獄堂入り口に極楽度・地獄度チェックがあります。
自分をかなりひいき目に見て答えたら、極楽にいける資格があるという判定でした。
でも最高の『極楽行き たいこ判』は「そんな奴はおらん! 自分に正直に答えよ! エンマ」との貼り紙が。
あの世に行ったらエンマ様にウソを見破られるでしょう。

100円の地獄通行手形を買って地獄堂に入り、手形のQRコードをかざすと地獄への扉が開きます。QRコードというところが現代的です。

極楽度・地獄度チェック
地獄通行手形

中に入ると正面に閻魔大王。右横には恐ろしい鬼とババア(奪衣婆)。左横には9人の裁判官が並んでいます。
閻魔大王も、鬼もババアも怖いですが、黙って座っている9人の裁判官が不気味です。

正面にあるドラを鳴らすと地獄の映像が流れます。
串刺しになったり、火をつけられたり。
地獄に落ちて、こんなことをされたら痛そうで嫌です。地獄行きにはなりたくありません。
映像は、最後に「一度しかない命を大切にしないといけない」と語って終わります。

以前は地獄堂に入ると扉が閉まっていたそうですが、今は開いたままです。扉が閉じると恐ろしさも倍増するように思います。

地獄堂のそばには「地獄の釜の音」が聞こえる石があります。穴に首を入れると、なんだかゴワゴワ、ジュワジュワという音が聞こえる気がしました。

地獄の釜の音

ほとけのくに

「ほとけのくに」は菩薩様たちに囲まれた中央のステンドグラスの上に座り、聞こえてくる水琴窟の音に耳を傾けます。
静かな中を水音だけが聞こえます。自然と静かな心になりました。
でも、何もない感じです。悪いことはないかもしれないが、楽しいことも、刺激もない世界。
地獄もイヤだけど、こんなのもちょっと。。。
生きている間は、適度に刺激があって、アップダウンがある方が楽しいなと思います。

全興寺には他にも、小さな駄菓子屋さん博物館、平野の音博物館、賽の河原体験、赤い糸の縁結び、不動雲海があり、プチ写経・写仏も体験できます。
平野では「平野の町づくりを考える会」という町おこし活動があり、全興寺にある博物館もその運動の一環のようです。
こういう活動が続いて、町がイキイキしていったらいいなあと思いました。