京都市伏見にある城南宮に行ってきました。
京都遷都のときに、京の都を守る守護神として創建されたといいます。
京都に都が移ったのは延暦13年(794)なので、1200年以上の歴史がある古い神社です。
城南宮は大きな事件の舞台となっています。
1つ目は承久の乱です。
応徳3年(1086)に白河天皇が鳥羽離宮を造営。城南宮は離宮に組み入れられます。
離宮は方違えの宿所や熊野詣の精進所となり、祭礼の折など流鏑馬や競馬が行われました。
承久3年(1221)5月、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して武士を集め、執権北条義時の追討を命じます。承久の乱の始まりです。この乱は幕府軍の反撃にあい、7月に終結。後鳥羽上皇は隠岐島へ流され、幕府の支配が西日本にも及ぶようになりました。
2つ目は鳥羽・伏見の戦いです。
慶応3年(1867)10月 大政奉還
12月9日 王政復古の大号令
12月12日 徳川慶喜、大阪城へ退去
12月25日 江戸の薩摩藩邸が旧幕府軍に攻撃される
慶応4年(1868)1月2日 会津、桑名両藩の兵からなる大軍が京へ進撃
1月3日 薩摩軍は城南宮に布陣。幕府軍との間に戦いが始まる(鳥羽・伏見の戦い)
1月6日 幕府軍退却。新政府軍が勝利
承久の乱も鳥羽・伏見の戦いも、どちらもその後の日本の方向を決めた戦いです。
今の平和な城南宮から、そんな戦いがあったとは想像もできません。
また城南宮は熊野詣出立の地ということで、ここから熊野三山への参詣の旅に出たそうです。
まず、精進所に7日ほど滞在して旅の無事を祈ったあと、淀川を下って旅に出ます。往復で20日かかったそうです。
でも、京から大阪までは船に乗ったにしても、和歌山の熊野まで、いろいろな神社(王子)に参拝しながら歩いて、往復20日というのは意外に早いと思いました。
白河上皇は9回、鳥羽上皇は21回、後鳥羽上皇は28回も熊野詣をしたそうです。
たいへんな旅だったと思いますが、楽しかったのでしょうね。
城南宮はきれいな神苑が名所です。
春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭と5つのテーマに分かれています。
城南宮のホームページに、それぞれの庭のコンセプトがありました。
- 春の山:春の草木に花開く庭
- 平安の庭:平安貴族の寝殿造りの庭をモデルにしたそうです。
- 室町の庭:茶道、生け花、能楽など日本文化が大成された室町時代の様式で造られた池泉回遊式庭園
- 桃山の庭:水を用いずに海を表した枯山水の庭
- 城南離宮の庭:城南宮が最も華やかだった平安後期の様子を表す枯山水の庭
土から浮き出た木の根っこが、まるで血管のようで迫力がありました。
カキツバタが見頃でした
枯山水の城南離宮の庭です。白い石が池を、石組が殿舎を表しているそうです。
神苑は一年中季節の花が咲いています。
城南宮のパンフレットにある2月下旬から3月上旬に咲くしだれ梅は幻想的です。一度見てみたいです。