法然上人の誕生寺

岡山県の北部、久米南町にある誕生寺は、浄土宗の元祖・法然上人がお生まれになったところといわれています。
この寺の由緒にはいくつかの説があるようです。

  1. 法力房蓮生(熊谷直実)が法然上人誕生の生家を寺院に改め、建久4年(1193)に開山された。蓮生はこの寺で5年間常行念仏を修めたといわれている。
  2. 誕生時に奇瑞があった椋の木を崇めて仏閣を建て誕生寺と号し、御影堂を造ったという
  3. 漆間時国が天台宗浄土院の本尊釈迦像と院主を共に迎え誕生寺を創建。承安5年(1175)、法然上人が直作の御影を送り、本尊とした。
  4. 承安5年(1175)、法然上人が帰郷し、漆間時国の念持仏の阿弥陀仏を本尊として創建。自作の御影も残した。

誕生寺のホームページにある住職の挨拶によると、法然上人が帰郷したという記録はないということで、蓮生(熊谷直実)がここにやってきて誕生寺を創建・開山したというのが正しいようです。

長承2年(1133)、父・漆間時国、母・秦氏の子として法然上人が誕生。勢至丸と名付けられました。たいへん賢い子で、弓が得意だったようです。
勢至丸9歳の保延7年(1141)、地元の豪族・明石源内武者定明が突然襲ってきました。この夜襲によって父・漆間時国は重傷を負いますが、勢至丸は得意の弓で応戦。源内武者定明の右目を射抜き、定明を追い返します。
戦いのあと、時国は勢至丸に定明を仇として追うことをいさめ、出家するよう遺言して亡くなりました。
奈義の菩提寺で修行を積んだ勢至丸は、15歳のとき比叡山に旅立ちます(久安3年/1147年)。

本堂の裏手に父・時国と母・秦氏をおまつりする勢至堂があります。
まわりには法然上人産湯の井戸や初代津山藩主・森忠政の長男や養母の供養塔が建っていました。
昔から崇敬を集めてきた場所のようです。

勢至堂

勢至丸に右目を射られた定明は片目川で傷ついた目を洗い逃げていきました。その後、この川に片目の魚が現れるようになったといいます。

片目川
片目の魚

片目魚の伝説は日本各地に見られ、平安時代後期の武将・鎌倉権五郎景政にちなんだ「片方の目を射られた武将が、それを洗ったために池の魚が片方の目を失った」というのが多いそうです。勢至丸が定明の目を射る話は、まさにこの系統の話ですね。

誕生寺には七不思議が伝えられています。その一つが「人肌のれん木」です。法然上人が比叡山へ旅立つときに、身体を暖めるために母に与えたもので、法然上人の肌の温かさを保ち続けているそうです。

人肌のれん木

境内にある大きな銀杏の木も七不思議の一つとされています。「逆木の公孫樹」といい法然上人が旅立つときに、奈義の菩提寺から杖として使ってきたイチョウの枝をこの地にさしたところ、根が上に伸び繁ったということです。この大きな「逆木の公孫樹」は法然和尚の杖が成長した姿なのですね。

逆木の公孫樹

「逆木の公孫樹」も「人肌のれん木」も、どちらも勢至丸少年が比叡山に登って、やがて法然上人になるという旅立ちに関係しています。そして、法然上人の弟子になった蓮生こと熊谷直実がここへやってきて寺を創建する。
誕生寺はドラマチックな舞台ですね。