亀戸香取神社

亀戸の香取神社を訪問しました。

jr亀戸駅から歩いていくと途中、亀戸梅屋敷というのがありました。
昔、江戸時代、この地に梅屋敷と呼ばれる梅の庭園があり、たいへん人気があったといいます。
中でも、150メートルに渡り、枝が地中に入ったり出たりする梅があり、水戸光圀公から「臥龍梅」の名を与えられました。8代将軍・徳川吉宗公からは「世継ぎの梅」と称賛されたそうです。
この庭園を歌川広重が浮世絵に描きました。
その絵は海を渡ってヨーロッパにたどり着き、なんとゴッホが模写をしています。
亡くなる3年前。パリにいた時代です。

梅屋敷を左折して蔵前橋通りをいくと、大きな鳥居があります。
鳥居をくぐって門前町を通って進んでいくと香取神社です。

ご祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)、配神に武甕槌神、大己貴神です。
経津主神は鹿島大神とともに日本平定に手柄があったという武将の祖神で、神武天皇の御代に下総に鎮座されたといいます。

藤原鎌足公が天智天皇4年(665)に東国下向されたときに、「亀の島」に船を寄せられて香取大神を勧請され、太刀一振りを納められたのが亀戸香取神宮創立の由緒です。

それから約300年後の承平3年(935)に平将門が反乱を起こします。それを平定する追捕使になった藤原秀郷(俵藤太)が戦勝祈願のため香取神社を参拝。将門を討ち取ったあと弓矢を奉納しました。
この弓矢は「勝矢」と名付けられ、これを縁起とする「勝矢祭」が今も行われています。

そして、源頼朝や徳川家康といった武将、塚原卜伝や千葉周作といった剣豪から崇敬を受けました。

こういった由緒やエピソードから香取神社はスポーツ振興の神とされています。

境内には大きな石が鎮座されています。勝ち石といって、藤原鎌足公が太刀を納めた故事にちなんで造られたものです。

本殿には池江璃花子さんを応援する絵が飾られていました。
来週から始まるパリオリンピックで実力を発揮して欲しいです。