福山城から鞆の浦へ行く途中、明王院を訪問しました。 ここの本堂と五重塔は国宝に指定されています。
大同2年(807)に弘法大師の開基と伝えられる。名を理智院常福寺といった。
この寺の下に草戸千軒と呼ばれる町があった。
元和5年(1619)に水野勝成が福山に入府。その庇護を受けた。
三代水野勝貞のとき、歴代藩主の祈願所だった明王院を常福寺に合併した。そのとき、当時の住職が名を明王院に改めた。
古い歴史のあるお寺です。
国宝の本堂は鎌倉時代末の元応3年(1321)に建立された折衷様式の建物です。折衷様式としては瀬戸内海沿岸で最も古いそうです。
五重塔は貞和4年(1348)の建立で、全国の五重塔のうち5番目に古いものだそうです。 国宝に指定されている五重塔の古さを調べてみました。
1位 法隆寺 奈良 天智天皇9年(670)
2位 室生寺 奈良 延暦19年(800)
3位 醍醐寺 京都 天暦5年(951)
4位 海住山寺 京都 建保2年(1214)
5位 明王院 広島 貞和4年(1348)
6位 羽黒山五重塔 山形 文中元年(1372)
7位 興福寺 奈良 応永33年(1426)
8位 瑠璃光寺 山口 嘉吉2年(1442)
9位 東寺 京都 寛永21年(1644)
「一文勧進の少資を積んで造られた」という、庶民の寄付によって作られた五重塔はきれいな形をしています。
明王院の下には草戸千軒という港町がありました。この町は、江戸時代中期の地誌『備陽六郡志』によると、「寛文13年(1673)の大洪水で滅んだ」とされています。
明王寺の前を流れる芦田川の中州に鎌倉時代から江戸時代初期まで大きな港町があり、中国、朝鮮とも交易をしていたそうです。
昭和36年(1961)から始まった発掘調査で草戸千軒の全容が解明されていきました。 町の始まりは鎌倉時代。室町時代には町は大きく発展しました。しかし、室町末期には遺構がほとんど見られなくなり、町が急速に衰退していったそうです。
洪水で町が一瞬にして滅んだわけではありませんでした。
江戸時代に行われた大干拓の前は、この辺りまで瀬戸内海の沿岸だったようです。 地形が全く変わってしまい、当時の姿は想像できませんね。 でも、明王院は草戸千軒の人たちから信仰を集めていたことでしょう。