弘法大師の誕生地・善通寺

南大門

香川県善通寺市にある善通寺を訪問しました。
善通寺は弘法大師空海がお生まれになったところです。
唐から帰った空海が父・佐伯善通が寄進した土地に、長安にあった青龍寺を模して建立したといいます。大同2年(807)から6年の歳月をかけて、弘仁4年(813)に完成しました。
善通寺は東院と西院で構成されており、西院は弘法大師が生まれたという佐伯氏の屋敷跡に建てられた御影堂を中心とし、東院は善通寺創建当時の寺域ということです。
西院と東院は分かれているといっても隣り合わせですぐに行き来できます。

東院

山門を入ってすぐ目に入ってくるのは五重塔です。
弘法大師が創建した初代五重塔は焼失。現在の塔は明治35年(1902)に再建されたもので、高さは43メートルもあります。木造の五重塔としてはかなり高い建物です。

五重塔

金堂の本尊は薬師如来です。現在の建物は元禄12年に再建されました。

金堂

金堂も五重塔も永禄年間(1558〜1570)の兵火で焼けたといいます。
この永禄年間の兵火とは、三好長慶の弟・三好実休と讃岐国守護代・香川氏が戦った善通寺合戦のことでした。戦国時代には四国でも激しい戦いが繰り広げられていたのですね。

また、2本の巨大なクスノキが生えています。2本とも樹齢は千数百年と伝えられ、弘法大師が誕生した頃から生えていたそうです。
弘法大師が子供の頃はこのクスノキも小さかったのでしょうか。

大楠

中門を通り、西院の方へ向かいます。

中門

西院

西院の入口は仁王門です。

仁王門

屋根がついた廻廊を進むと御影堂です。

廻廊

御影堂は弘法大師空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられたといいます。
現在の御影堂は天保2年(1831)に建立されました。

御影堂

御影堂の中にオジャマさせてもらい、戒壇めぐりと宝物館を拝見させていただきました。
戒壇巡りは真っ暗です。暗闇の中、壁に触れた左手の感覚だけで進みます。
奥の方まで行くと、なんと弘法大師が語りかけてくれました。弘法大師の声を再現したそうです。
ちょっとビックリです。

戒壇めぐりの入口

戒壇めぐりの次は宝物館です。
宝物館へ向かう途中、弘法大師産湯の御水と書かれた小屋がありました。
弘法大師がお生まれになったとき、小屋の中にある井戸の水を産湯として使ったとされています。

弘法大師産湯の御水

歴史の古い、しかも弘法大師がお生まれになったという善通寺です。いろいろな宝物、文化財がありました。撮影禁止だったのが残念です。

弘法大師がお生まれになったのは宝亀5年(774)。
延暦7年(789)に平城京へ上り、学問を学びます。
延暦23年(803)、遣唐使として唐に渡り、青龍寺の恵果和尚から密教を伝授されます。
大同元年(806)、日本に帰国。太宰府滞在を経て、大同4年(809)に京へ戻りました。
弘仁4年(813)、善通寺を創建。
弘仁7年(816)、高野山開創をスタートします。
弘仁14年(823)、東寺を賜りました。
承和2年(835)、入定。高野山奥之院では空海が今も禅定を続けているとされ、食事(生身供・しょうじんぐ)が捧げられています。

20年の約束で行った遣唐使をたった2年で戻ってきてしまう。しかも密教のトップ恵果和尚からは自分の正嫡に値すると認められ、密教の奥義を伝授される。
なんだか信じられないようなストーリーですが、それだけ弘法大師空海のパワーがすごかったのでしょう。