高野山の入口・慈尊院

高野山の入口、女人高野と言われる九度山の慈尊院を訪問しました。
創建は弘仁7年(816)。弘法大師が高野山を開いたときに、高野山参詣の出発点としてこの地に創建されました。

慈尊院には弘法大師の母・玉依御前(たまよりごぜん)にまつわるエピソードが残っています。

息子が開いた山を見たいと、弘法大師の母が善通寺からやってきました。しかし、高野山の七里四方(約28キロメートル)は女人禁制です。高野山に入ることができない母はこの地にとどまりました。その代わり弘法大師が28キロメートルもの道のりを、月に9回も往復したと言われています。九度山の地名の由来です。

母が亡くなった際に、母が弥勒菩薩になられた霊夢を見た大師は廟堂を建立し、自作の弥勒菩薩を安置されました。
慈尊院は弥勒菩薩の別名で、この話からこの寺は慈尊院と呼ばれ、女人高野と言われるようになったそうです。

弘法大師と母の関係から母の化身と言える弥勒菩薩に「子宝、安産、授乳」を願った「おっぱい絵馬」が奉納されています。
絵馬を奉納された方、全員の願いがかなったらいいですね。

建物としては弘法大師創建という多宝塔(寛永年間の再建)や大師堂(四国堂)があります。

多宝塔
大師堂(四国堂)

また、弘法大師の像とゴンの碑というのがありました。

ゴンという野良犬がいたそうです。
その野良犬は鐘の音が好きだったことからゴンと呼ばれました。
ゴンは慈尊院から高野山への参詣者の道案内をしていたそうです。
2002年6月に死んでしまったけれど、早くも7月にこの碑が建てられたようです。ゴンは人気があったのですね。

慈尊院の裏手に丹生官省符神社があります。

弘法大師が慈尊院を開いたときに、丹生明神と高野明神の二神をおまつりされたそうです。

高野明神(狩場明神)こと高野御子大神は丹生明神(丹生都比売大神)の子で、白と黒の犬を連れた狩人の姿で弘法大師の前に現れ、2匹の犬に案内させて、弘法大師を丹生都比売大神の待つ天野の地(高野山)へと導いたという伝説があります。

ゴンといい、狩場明神の2匹の犬といい、犬には不思議な力があるのかもしれませんね。

今だと、電車やケーブルカー、バスで高野山まで登れますが、ふもとから歩いて登るのはたいへんだったでしょうね。
その困難を乗り越えて登ることが一つの修行なのでしょう。

高野山への道