唐招提寺を見物したあと薬師寺にも行きました。
徒歩で約10分です。近鉄橿原線の西ノ京駅からだと徒歩5分程度の距離です。
唐招提寺はあまり色がなかったのですが、薬師寺の門は鮮やかな朱色でした。
門をくぐると食堂です。食堂も白壁と朱色がきれいです。
300人の僧侶が一度に食事できる大きさだったといいます。現在のレストランで考えても、相当大きな食堂です。そんなにたくさんの人の食事をさばくなんて、すごいことだと思います。
食堂の手前、地面の朱色は十字廊という建物の跡を示しています。文字通り十字形の建物だったようです。十字廊が何に使われたかははっきりとはわかっていないそうですが、食堂に関連した施設だったと考えられています。
ぐるっと回っていくと金堂と東塔が見えました。両方ともきれいです。
それにしても境内は広いですね。のびのびとした感じがします。
回廊もきれいです。太陽の日差しを遮ってくれて、それもありがたい。
回廊のそばにある東院堂は国宝で、本尊の聖観世音菩薩も国宝に指定されています。
境内には2つの大きな塔、西塔と東塔が建っています。東塔は創建当時からある薬師寺で最も古い建物で国宝です。
西塔と東塔のどちらも背が高く、屋根が6つあるので六重塔のように見えますが三重塔でした。一番下と3番目、5番目の屋根は裳階(もこし)という、いわゆる「ひさし」とのことです。
それにしても、色、形ともきれいです。
金堂には薬師寺の御本尊・薬師三尊像(国宝)がおまつりされています。
建物は昭和51年(1976)に再建されたものですが、薬師三尊像は持統天皇10年(697)に開眼供養されたと日本書紀にあります。
薬師如来の両脇に日光菩薩、月光菩薩が立っておられますが、皆穏やかなお顔をされていました。
像をご覧になられた持統天皇もうれしかったのではないかと思います。
大講堂も大きな建物です。
かつては、たくさんの僧侶がここに集まって仏教の勉強をしていたのでしょう。
この中に安置された弥勒三尊像、仏足石、仏足石歌碑を見ることができました。
仏足石と仏足石歌碑は国宝に指定されています。
薬師寺は天武天皇が皇后の鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)の病気平癒を願って創建されました。神仏に頼るのが科学と信じられた時代、こんなに立派なお寺を造ってあげたら、絶対に病気は治ると思えて、鵜野讃良皇女(のちの持統天皇)もうれしかったでしょうね
でも、天武天皇は寺の完成を見ずに崩御され、持統天皇の時代に完成しました。
和同3年(710)には平城京遷都により、現在地に移っています。
薬師寺は失火や地震、そして戦乱に巻き込まれて多くの建物が失われていったそうです。
今も残っている東塔や東院堂、それに多くの仏像をよくぞ守ってくれました。
そして、現在多くの伽藍が再建され、ありし日の薬師寺を見ることがようになってよかったと思います。