坂出市八十場(やそば)にある白峰宮・天皇寺を訪問しました。
地名の八十場には霊水伝説が伝えられています。
景行天皇の御代、悪魚が南海で暴れていた。讃留霊王(さるれお)と88人の軍勢が悪魚退治に向かったが、軍勢が乗った船ごと悪魚に飲み込まれてしまう。讃留霊王は魚の腹を切り裂いて脱出するが、讃留霊王とその軍勢は悪魚の毒に苦しんだ。すると、童子が現れて、水を飲ませてくれると全員が蘇生した。これを八十場の霊水と言う。
保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐(香川)へ配流された。
讃岐に流されてから8年目(長寛2年/1164年)、上皇は崩御された。
上皇の亡骸を八十場の霊水にひたしておくと腐ることがなかった。
白峰宮と天皇寺は八十場の霊水のすぐ近くにあり、いずれも崇徳上皇に関係があります。
天皇寺は天平年間(729〜749)に行基によって創建される。
弘法大師・空海が八十場を訪れて、寺を再興。摩尼珠院妙成寺となった。
崇徳上皇が讃岐に配流され、最初の3年は雲井御所で過ごし、その後は当所で幽閉された。
上皇が崩御され、のちに上皇の霊を慰めるために崇徳天皇社が建てられた。
摩尼珠院は天皇寺と呼ばれるようになった。
明治になって崇徳上皇の御霊は京都の白峰宮に遷された。
崇徳天皇社は崇徳上皇をまつるのをやめて白峰宮となり、摩尼珠院は廃寺となった。
その後、高照院が現在地に移り、天皇寺となった。
白峰宮の鳥居は三輪鳥居です。そして、その横に天皇寺の石碑が建っていました。
讃岐に配流になった崇徳上皇は、自らが行った写経を保元の乱の敵、弟でもある後白河天皇に送りましたが、受け取ってもらえませんでした。
この、ひどい仕打ちに怒りのあまり、舌をかみきり、流れ出る血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と、爪や髪を伸ばして夜叉のような姿になったといいます。
そして、亡くなられたあとは怨霊として猛威をふるったとされます。
700年後の明治になって、白峰神宮が京都に建てられて、上皇の御霊を讃岐から遷してお祀りしたというほどのパワーで菅原道真、平将門と並ぶ日本最強の怨霊です。
そんなすごい上皇を700年も慰め、お祀りしてきた白峰宮(崇徳天皇社)はたいへんでしたね。
天皇寺は四国八十八ヶ所霊場の第七十九番札所です。
御詠歌は「十楽のうき世の中をたづぬべし 天皇さえもさすらいぞする」です。
白峰宮と天皇寺を訪問させていただいたあとは、八十場名物というところてんをいただきました。
創業200年の清水屋のところてん。つるつると美味しかったです。