唐招提寺

唐招提寺を訪問しました。
天平宝字3年(759)、唐から来られた鑑真和上によって創建された唐招提寺。
1300年近い歴史があります。
場所は東大寺から離れた西ノ京地区。近くに薬師寺があります。
このあたりは鹿もおらず、海外からの観光客も少なく静かでした。
建物では金堂、講堂、鼓楼、宝蔵、経蔵が国宝です。
写真は撮れませんでしたが、仏像も多くが国宝に指定されています。

金堂
講堂
鼓楼
宝蔵と経蔵

開山堂には鑑真和上御身代わり像が安置されています。
お顔は教科書に出てくる鑑真和上と同じで、優しいお顔で目をつむってお座りになられています。
この像が作られたのは平成25年(2013)で、本物の鑑真和上像(国宝)は御影堂に安置されているそうです。

開山堂

鑑真和上は日本の僧からの要請で来日することを決意されました。
渡航を試みるも5回は失敗。6度目の渡航でようやく日本の地を踏まれました。
738年 栄叡と普照という二人の日本人僧が遣唐使船に乗って唐に渡りました。
二人の目的は授戒できる僧侶を日本に招くことでした。
二人は鑑真に会います。このとき鑑真は55歳。
鑑真は弟子たちに「日本に行く者はいるか」と尋ねましたが、日本に行こうというものはただ一人もいませんでした。
鑑真は「ならば、私が日本へ行こう」と決意されました。
渡航1回目(743年)出国を試みるも、弟子の密告により中止。栄叡と普照は逮捕されるも釈放される。
渡航2回目(743年)船出したが暴風で失敗。
渡航3回目(744年)渡航の計画中に密告により中止。栄叡は逮捕されるが解放される。
渡航4回目(744年)弟子の密告により渡航できず。栄叡と普照は逮捕される。
渡航5回目(748年)船出したが暴風でベトナムに近い海南島に漂着する。栄叡が亡くなる。
渡航6回目(753年)20年ぶりにやってきた遣唐使船に乗りこむ。11月に沖縄、12月に鹿児島に漂着。
754年2月、奈良に到着。鑑真は66歳になっていました。
その後、鑑真は東大寺に戒壇を設け、日本に正式な授戒を伝えました。

759年、唐招提寺を開きます。

金堂の隣にある戒壇は創建時に築かれたとされますが、中世に廃止になり、その後再興されたものの建物は消失。3段の石段が残っています。石段の上の宝塔は昭和53年に築かれたものです。

戒壇

763年、鑑真和上は76歳で遷化されました。
鑑真は戒律だけではなく天台宗の教えを日本に伝えました。さらに漢方医学も伝えたそうです。
中国・唐にいたころ、すでに高名な僧侶であった鑑真は非常な苦労をして日本に来てくれました。そして自分の持っている知識を日本人に伝え、教えてくれた偉大な人でした。

鑑真和上御廟所