野洲から長浜へサイクリング

いつかはビワイチをやってみようと思い、練習のつもりで野洲から長浜まで、観光しながら走りました。

姫路から野洲まで輪行です。
いつものように姫路発の新快速に乗ります。姫路発なので列車の先頭にも、最後尾にも自転車を置くことができて便利です。

野洲駅で降りて、自転車を組み立てて8号線を北上しました。

途中に「国宝 大笹原神社」という看板があったので興味がわいて立ち寄ってみました。
室町時代に建てられた本殿が、装飾が素晴らしいということで国宝に指定されています。
滋賀県内には国宝に指定されている神社建築は8つあるそうですが、この大笹原神社はその一つです。
言ってはなんですが、こんなへんぴなところに国宝の建物がひっそりあるという、滋賀のすごいところだと思いました。

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大笹原神社

大笹原神社を後にして、村田製作所の大工場の前を通りすぎていくと、赤いのぼりがありました。
平家終焉の地、平宗盛公胴塚です。
壇ノ浦の戦いで源氏に捕らえられた平家の総大将・平宗盛は鎌倉からの帰り道、ここで斬られました。
平家の主だった武将は一の谷の戦いや壇ノ浦の戦いで死んでいたので、平宗盛が死んだことで平忠盛、清盛と続いた平家は滅びました。

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平宗盛公胴塚

平家終焉の地から500メートルもいかないうちに源義経元服の地があります。
平家終焉の地の近くで、平家を滅亡に追いやった義経が元服したとは。自分が元服した場所の近くで平宗盛を殺すというのは、自分の父親を殺された復讐でしょうか。

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源義経元服の地

平宗盛の胴塚と違って、こちらは前に道の駅・竜王かがみの里があってにぎやかです。
鏡神社には義経が元服したときにかぶった烏帽子をかけたという松の根元が残されていました。
義経が元服したのは承安4年(1173)といいますから、850年も前の話です。
義経は人気があるだけに、いろいろなエピソードが残されています。

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源義経 烏帽子掛けの松

次はちょっと回り道をして太郎坊阿賀神社へ行きました。
ここは赤神山という山の中腹にご鎮座されている神社です。ご祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのおおかみ)という名の勝負の神様です。

神社のふもとには御神田では稲が実っていました。
向こうに見えるのが赤神山で中腹に見えるのが太郎坊阿賀神社です。
自転車で走ってきたので、あそこまで上がれるのかと不安になりました。

御神田と赤神山

本殿までは742段という階段を上りました。

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長い石段

お土産も売っている参集殿で休憩していたら、ここには吉田沙保里選手や100メートルの桐生選手などのスポーツ選手がおまいりに来ていました。さらにはももいろクローバーZもコンサートの成功を祈願してきていたそうです。

源義経が鞍馬で修行したときに現れた天狗は次郎坊です。そして次郎坊のお兄さんが太郎坊とのこと。
ご祭神の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊霊験といい、太郎坊といい、強そうな感じがする神社でした。

太郎坊のおかげで足はガクガクになったのですが、長浜目指して走りました。約35キロメートルです。
琵琶湖湾岸道路を走ると、穏やかな琵琶湖の湖面そして気持ちのよい琵琶湖の風のおかげで元気が出ました。

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穏やかな琵琶湖

本日の最終目的地、長浜城歴史博物館に到着しました。
この長浜城は伏見城や犬山城を参考にして造られた城で、内部は長浜の歴史や秀吉の業績などが展示されています。

ちょうどこの日は「北政所四百年遠忌特別展」が開催されていました。
秀吉があんなに偉くなったのは北政所・寧々様の影響が大きかったのだと思います。
二人がどんな会話をしていたのか。聞いてみたいですね。

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長浜城歴史博物館

城に着いたときは、夕方に近づいていました。

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長浜城展望台より

そろそろ帰り支度をしないとというわけで、輪行のときの定番となっている銭湯へ行きました。
長浜ではびわこ湯さんを利用させてもらっています。
ジェットバス、くすり湯などがあるきれいなお風呂屋さんです。
脱衣所なんかで交わされる地元の人の会話も楽しい。

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びわこ湯さん

今日のサイクリングは約70キロメートル。
太郎坊がなければもう少し走れたかもですが、最後に風呂でさっぱりでき、楽しい一日となりました。