根来寺は4時に閉門という情報があったので、急いで自転車で坂道を上がっていきました。
坂の途中に大きな門がありました。根来寺の総門です。大きさに驚きました。
そして、根来寺とはこんなに大きな門を持っている寺なんだと思い知りました。

なんとか3時半頃に到着して汗ダクダクのまま入山料を支払っていると、門番のおばちゃんが「サイクリングできたの?塩分補給に冷やしキュウリを食べてみ~」と言って、キュウリをくれて水を飲ませてくれました。
冷たくて美味しかった。
参道を歩いていくと鐘楼門です。

正面にあるのは光明殿です。
根来寺では入山料を払えば、光明殿の中に入って聖天堂や行者堂へ行くことができます。また大塔や大伝法堂の中に入ることもできました。
写真撮影は禁止されていましたが、中にはいって仏像などをじかに見て、大きさやお顔を眺めることができたのは良い体験となりました。

明応5年(1496)に建てられた大塔は、秀吉の紀州攻めで焼けずに残った建物です。国宝に指定されています。
大塔の中に入って内陣の周りをぐるっと回りました。そこかしこに仏様が安置されています。根来寺のホームページによると「真言密教の教義を形の上で示したもの」ということでした。

大伝法堂は根来寺の本堂です。
中に入ると大きな仏様が迎えてくれました。
中央が大日如来。左に金剛薩埵(こんごうさった)、右は尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)という仏様です。
大日如来像は8メートルもの高さです。スケールが大きい。

根来寺は雑賀衆と並ぶ鉄砲部隊を持って戦国時代に活躍したということは知っていましたが、どういう寺なのかは全く知りませんでした。
調べてみると、大治5年(1130)に興教大師・覚鑁(かくばん)上人によって開創された新義真言宗の総本山ということでした。
その覚鑁上人がお眠りになっているのが奥の院です。

覚鑁上人が入滅されたのは康治2年12月12日(1144年1月18日)。49歳でした。
高野山で修行を積まれた覚鑁上人は旧来の真言の教えに対し、新たな(新義)真言の教えを説かれました。

真言宗は大きく分けると古義真言宗、新義真言宗、真言律宗の3つに分かれるそうです。
古義真言宗には高野山・金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗や善通寺を総本山とする真言宗善通寺派があります。そして新義真言宗には根来寺、長谷寺(豊山派)、智積院(智山派)があり、真言律宗は奈良西大寺が総本山となっています。
最後は身代わり不動尊の不動堂です。ここでは覚鑁上人を守ったという「きりもみ不動尊」がおまつりされています。
覚鑁上人が腐敗した高野山で改革をしようとしたとき、反対派に命を狙われました。
覚鑁上人を狙って不動堂に乱入してきた僧徒たち。そこには不動明王像が2体ありました。
通常、不動明王は一体だけのはず。
どちらかは不動明王になりすましている覚鑁だと考え、2体の不動明王の足にキリを突き刺すと、どちらからも血が流れ出ます。
これを見た僧徒らは、覚鑁上人が不動明王に守られていることを悟り、不動堂からでていった。

新しい教えを説かれた覚鑁上人も命がけの戦いだったのですね。
根来寺も秀吉の紀州攻めにあっても、滅びずに現在まで続いてきています。
これからも歴史を積み重ねていったら良いなと思います。
