兵庫県三田市にある花山院菩提寺を訪問させていただきました。
インドから雲に乗ってやってきたという法道仙人によって白雉2年(651)に開山されたと伝えられる古いお寺です。
NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場した花山法皇をおまつりしていて、西国33ヵ所巡礼を再興した花山法皇にちなんで西国33ヵ所霊場の番外霊場とされています。
法皇は17歳で花山天皇として即位するも(永観2年/984年)、藤原氏にだまされて出家し、わずか2年で一条天皇へ譲位を余儀なくされました。
その後、花山天皇は播磨・書写山圓教寺から比叡山延暦寺と仏門の修行を積み法皇になられます。そして、宝塚市にある中山寺で得道上人が納めたという宝印を見つけ、33ヶ所観音霊場を巡礼しました。これが今に続く西国33ヵ所巡礼になっています。
花山法皇についてはいろいろな逸話がありますが、かなりの女好きで、女性にもてたようです。
藤原氏にだまされたきっかけは愛した弘徽殿女御・藤原忯子が亡くなったからです。相手は17歳。自分は19歳。若いです。若さゆえの情熱だったのかもしれません。
花山院のふもとに「十二妃の墓」という五輪塔と11基の石塔が残っています。
これは藤原忯子と女官の墓と伝えられています。
花山天皇が愛した藤原忯子の11名の女官が、藤原忯子の位牌を持ってこの地にやってきたというのです。
彼女らは女人禁制の寺に入ることはできないため、ふもとの集落に住み、山上の法皇に聞こえるように琴をつま弾いたと伝えられています。このあたりの地名は尼寺(にんじ)といい、寺に上がる坂道は琴弾坂と名付けられました。
それにしても、彼女らはここで亡くなったのでしょうか。哀れです。
しかし、寺に上る坂は強烈です。
とても自転車では登れないと思い、歩いて登りました。
正解でした。歩いて上るのもたいへんでした。
山門に東光山の額が掲げられています。菩提寺の山号です。
花山法皇が播州清水寺に登った際に、東の山に光が輝くのを見て、この地にやってきたというエピソードから東光山と呼ばれるようになったそうです。
多くの人が訪れていましたが、寺の中は静かでした。
菩提寺には本堂が2つあり、その一つが花山法皇殿です。中には花山法皇像が安置されています。
花山法皇廟所です。花山法皇の宝篋印塔があります。
法皇は寛弘5年(1008)に京都花山院で崩御されました。41歳の若さでした。
幸せの七地蔵尊はユニークでした。
それぞれ手に持っている物が違います。
祖父地蔵:軍配
祖母地蔵:箒(ほうき)
父地蔵:天球
母地蔵:蓮華
子供地蔵:系図
結び地蔵:ひも
賢者地蔵:経文
家族みたいで、それぞれに役割分担がありました。
納経所の方にある展望所から有馬富士が見えます。
花山院菩提寺の御詠歌は「有馬富士 ふもとの霧は海に似て 波かと聞けば 小野の松風」です。
花山法皇も修行のあいまに有馬富士を眺めておられたのでしょうか。