JR立花駅の近くにある七松八幡神社を訪問しました。

説明板にあった七松八幡神社の由来は次のような話でした。
ご祭神は応神天皇。 第68代 後一条天皇の寛仁3年(1019)に刀伊が攻めてきた(刀伊の入寇)。これを源頼信が討伐し凱旋の途中、この浦に立ち寄った。 瑞雲が浮かんでいた。一本の松の木があり葭原村という。一人の子供が村の窮状を訴え、助けて欲しいと言う。 頼信は感銘を受け、水田73町と六本の松を寄付し、社殿を改築した。
もともとあった一本の松に、新たに六本の松が加わったので七松になったということでした。
このあたりの地名は七松町なので、地名の由来でもあります。
刀伊の入寇は実際にあった事件です。 対馬、壱岐、博多と攻めてきましたが、藤原隆家らの活躍で撃退されました。
源頼信は清和源氏の出で、藤原道長に仕えた道長四天王のひとりです。
道長四天王:源頼信、藤原保昌(和泉式部の夫です)、平維衡、平致頼

境内には荒木村重の謀反の結果、織田信長に殺された620余人を悼む石碑が建っています。
荒木村重が有岡城にこもって織田信長に謀反を起こしたのが天正6年(1578年)10月。
織田軍に押されて村重が有岡城を出奔するのが天正7年(1579年)9月。
そして、12月には有岡城に残された女房、家来たちが殺されました。
見せしめとはいえ600人もの人を殺すのはむごいです。

小さな神社ですが、歴史のエピソードが残されている神社でした。