11月の晴天の日、宝塚の中山寺を訪問しました。
七五三にたくさんの家族連れが来ていました。きれいな服を着た小さい子どもたちがかわいらしい。
山門は立派な大きな建物です。正保3年(1646)に徳川家光によって再建されたものです。
力強い仁王様がおられ、大きなわらじもありました。
このわらじには足腰が丈夫であるようにという願いが込められているそうです。
山門をくぐり、屋台が出ているにぎやかな参道を通って行きます。
本堂へは階段かエスカレーターで上ります。
中山寺はバリアフリーになっていて、お年寄りや障がいがある人でも参拝しやすくなっているそうです。
中山寺の本堂は、現在奥の院がある場所にありましたが、荒木村重の乱で焼失。
慶長8年(1603)に豊臣秀頼によって再建されたそうです。
中山寺は豊臣秀吉、秀頼と深いつながりがあるようです。
朝鮮討伐の際に、秀吉から寄進されたと伝わる宝塔が残されています。また、中山寺に祈願して秀頼を授かったとされています。
初めての子供を得た秀吉は、安産祈願の中山寺をますます信仰したのではないでしょうか。
中山寺のご本尊は十一面観世音菩薩ですが、他に2体の十一面観世音菩薩がおまつりされていて、合わせて33面となっています。これは西国三十三ヶ所巡礼を意味しているそうです。
西国三十三ヶ所巡礼を創ったのは徳道上人です。
養老2年(718)、徳道上人は亡くなりました。
冥土に旅立った上人は、閻魔大名から「人々に功徳を広めるため、観音霊場を知らしめてほしい」と頼まれ、閻魔大王の三十三の宝印と起請文を授かります。
生き返った徳道上人は観音信仰の流布に努めますが、当時の人々に受け入れてもらえず、宝印を中山寺の石櫃に納めました。
それから270年後、花山法皇が中山寺で宝印を見つけ、三十三ヶ所の観音霊場を巡礼しました。
これが今に続く西国三十三ヶ所巡礼になり、中山寺は二十四番札所となっています。
本堂から少し先に青い色が印象的な五重塔があります。「青龍塔」と名付けられています。
仏の知恵と東方を司る青龍をイメージしているそうです。
荒木村重の乱以前は五重塔や多宝塔があったそうですが、豊臣秀頼の本堂再建時には、多宝塔と五重塔は再建されませんでした。
そして、それから400年後、平成19年に多宝塔「大願塔」が、平成29年に五重塔「青龍塔」が再建されました。
聖徳太子によって創建された、日本初の観音霊場という古い歴史を持つ中山寺ですが、現在の中山寺はどの建物もきれいで、にぎやかな感じがしました。
これからも日本第一の安産祈願、安産の寺として人気を集めるだろうと思いました。