源氏の祈願所・満願寺

源氏の祈願所だったという川西市の満願寺を訪問しました。
開山は神亀年間(724〜729)、勝道上人によるとされています。
勝道上人は日光を開いたとされる奈良時代末期の僧です。
標高 2,486メートルの日光男体山に挑戦し、3度目にして初めて登頂に成功したといいます。

川西市満願寺も自転車で登るには厳しい坂でした。
「満願寺まで2.3km」の標識です。ここからヒルクライムが始まりました。

下を見ると、一直線の急坂。住宅街です。
皆さんこの坂をどうやって行き来しているのでしょうか。

10%を超える坂が続き、最大では15%の勾配がありました。へっぽこライダーの貧脚ではとても上りきることはできず、途中から自転車を押して登りました。
国土地理院の斜面断面図です。急な坂が続いているのがわかります。

なんとか坂を登りきり、満願寺に到着。
ここへは路線バスで来ることもできるみたいです。
源氏の祈願所という歴史のあるお寺です。

山門には仁王様がおられました。
この仁王像は多田神社から移されたものです。
門の形は中国を思わせますが、満願寺のホームページに寄ると洋風を取り入れた建築様式とのことでした。

紅葉し始めた参道を通って金堂の方へ向かいます。

本尊の阿弥陀如来は「開眼阿弥陀如来(めあきのあみだにょらい)」と呼ばれ、開山の勝道上人の作と伝えられています。
美女丸こと源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)が比叡山から多田の地に帰ってきたときに、両目が見えなくなっていた母の眼病平癒を祈ったところ、母の目が見えるようになったという話が「開眼」の由来です。

満願寺金堂

境内には古い石造物がありました。
美女丸、幸寿丸、藤原仲光をおまつりした三廟は室町時代の造立です。
美女丸伝説の登場人物です。
藤原仲光は主君である源満仲から美女丸の首を斬れと命じられるが、その身代わりに我が子・幸寿丸の首を切りました。それを知った美女丸は今までの生活を悔い改めて比叡山で修行を積み源賢阿闇梨として多田に帰ってきたという話です。

三廟

九重の石塔は源氏一族の女法尼妙阿が父母の極楽往生を願って造立したといいます。
正応6年(1293)なので鎌倉時代のことでした。
源氏にまつわる遺物が残っています。

九重の石塔

坂田公時の墓があります。
坂田金時の幼名は金太郎。源頼光(源満仲の子)の家来となり、頼光らと大江山の酒呑童子を退治しました。

坂田公時の墓

満願寺は足利将軍家の祈願所として保護を受け大いに繁栄し、49もの建物があったそうです。
その後の戦乱などで規模は小さくなっていますが、いろいろな歴史的な文化財が残っている寺でした。

帰りは急坂を下ります。
あっという間でした。
信号待ちではブレーキレバーをしっかり握らないとずり落ちてしまいそうでした。
ヒルクライムは疲れましたが、楽しいサイクリングとなりました。