加古川・権現ダム

姫路から権現ダムまで行き、ダムの周りを一周して戻って来るというサイクリングをしました。走行距離は約50キロ。
県道65号線(神戸加古川姫路線)を使うと権現ダムは意外と近い。

権現ダムは播磨臨海工業地帯に工業用水を供給するという目的で、昭和57年(1982)に建設されました。第1ダム、第2ダム、第3ダムの3つのダムで構成され、有効貯水量は11,000,000立方メートル。一周は約10キロメートルです。

ここから権現ダム一周、10kmのサイクリングです。
大きな権現湖を見ながら走ります。

権現湖の東側を走る道は、加古川右岸自転車道にもなっています。
自動車も通らず、気持ちよく走れました。

権現湖をほぼ一周したところに石碑群がありました。
「権現・泉両溜池廃止記念之碑」とあります。権現・泉両水利組合が建立したものです。
碑には次のことが書かれていました。

  • 権現・泉両ため池は権現ダムの最北および最南端の2ヶ所に位置していた。
  • 寛文5年、姫路城主松平大輔侯の命により中山新村住民の格別の好意と地域先人の血と汗の労役によって築造された。
  • 面積は権現池だけで11町、周囲1里半あり、満々たる水を中山新村ほか8ヶ村の水田130余町歩の灌漑用水として供給していた。
  • 類まれなる農村の水瓶として8名の委員管理のもとに地域農村の繁栄の基礎となっていた。
  • 権現ダム建設に伴って売却を要請され、永久に灌漑用水が供給されることを条件に建設に協力することとし、要請を受け入れた。
  • 昭和57年9月30日、権現ダム完成式が挙行されるに当たり、我が先人の偉業とその労苦を偲びつつ、栄光の歴史を誇る権現・泉ため池廃止の記念に建立した。

寛文5年(1665)、姫路城主・榊原忠次公が亡くなり、榊原政房公があとを継いでいます。
榊原忠次公は新田開発に力を入れていたようなので、権現ため池建設を命じたのは榊原忠次公ではないかと思います。
それにしても、権現ダムがあるところは江戸時代から水をためやすく、水が必要とされた場所だったのでしょう。

権現ダムには水だけではなく、堤体を利用した大きな太陽光発電所があります。
年間の発電量は190万kWhで、540世帯の1年間の使用電力量にあたるそうです。

江戸時代から現代まで。水だけではなく電力も。権現湖1周サイクリングも気持ちいい。
権現ダムは我々の生活に役立っています。