廣田神社のご祭神は天照大神の荒御魂(あらみたま)です。
荒御魂とは神様の霊魂の荒々しく活動的な面をいいます。これに対して、和御魂(にぎみたま)があり、こちらは霊魂の優しい柔和な面のことです。
活発に活動されている天照大神をおまつりしている廣田神社は勝運、合格、交通安全、立身出世に霊験あらたかな神様です。
我らが阪神タイガースも毎年必勝祈願に訪れます。
訪問した日は七五三の家族連れでにぎわっていました。
かわいらしい着物を着た女の子。写真を撮られるのがイヤで駄々をこねる男の子。なんだか晴れやかで、楽しそうでした。
境内社の一つに斎殿神社があります。ご祭神は葉山媛命です。
葉山姫はここ廣田の地で初めて天照大神の荒御魂をおまつりした姫様です。
日本書紀に廣田神社創建の物語がでてきます。
神功皇后の軍船が三韓征伐から凱旋のおり、鹿坂王、忍熊王が反乱を企てた。この二人は神功皇后の夫・仲哀天皇が別の后(大中姫)との間にもうけた皇子だった。
皇后の軍船は紀伊水道から難波に入ろうとしたが、船がぐるぐる回ってしまい、進むことができなくなった。
そこで、船を武庫の水門に着けて、神様のご意思を確かめるために占いをした。
すると、天照大神、稚日女尊、事代主尊、住吉三神が現れて、天照大神は廣田の国に、稚日女命は生田の国に、事代主命は長田の国にまつれと申された。
このお告げを受けて、廣田の国において山背根子の娘・葉山媛に天照大神の荒魂をまつらせた。
生田国では海上五十狭茅に稚日女命をまつらせ(生田神社)、長田では葉山媛の妹・長媛に事代主命をまつらせた(長田神社)。
葉山媛はこうして廣田の国に赴いて、天照大神をおまつりするようになったとされています。
神戸市の長田神社と生田神社。そして西宮の廣田神社。古代大和政権にとってこの3社は重要な神社だったのだと思います。
拝殿には昭和、平成、令和と歴代天皇から御下賜された幣帛料が掲げられていました。このことからも廣田神社の格式の高さが伺えます。
廣田神社は京の都から西方にあるので「西宮」と呼ばれました。それがいつしかこのあたりの地名となりました。
廣田神社がなかったら、西宮市は別の名前になっていたでしょう。