播磨の山城・福崎・春日山城

福崎町にある春日山城を訪問しました。
城は標高198メートルの春日山にあります。

まずはふもとにある鍛冶屋熊野神社にお参りしてみました。
古そうな絵馬がたくさん奉納されていました。

神社のそばには立派な屋台蔵があります。
1キロほど離れた余田大歳神社の秋祭りに参加する鍛冶屋屋台が納められています。

登山口には春日山城の説明板がありました。

春日山城が築城されたのは建武年間(1334~1336)。初代城主は後藤基明。
後藤氏は播磨の守護大名・赤松氏に仕え、応仁の乱では山名氏の軍勢を打ち破った。
天正の頃の城主は後藤基信。
天正6年(1578)、羽柴秀吉の播磨攻略で落城。基信は自刃したと伝えられる。

約200年間、春日山に城が築かれていたようです。
天正6年は三木城攻めが始まった年。秀吉は三木に、福崎にと播磨中の敵を相手に大忙しです。

さて、頂上を目指して登ります。
登山道はきれいに整備されているので登りやすく、約20分で頂上につきました。

頂上にはふもとにあったのと同じような説明板と食料貯蔵庫という穴があるだけで、特になにもありません。
しかし、眺望がすばらしい。
遠くの七種山や笠形山などの山々や福崎町が一望できます。
ここは『ひょうごの景観ビューポイント150』に選ばれています。

春日山の近辺には後藤氏ゆかりの寺社があるので行ってみました。

余田大歳神社

春日山城主の後藤氏にまつられていたという神社です。
秋祭りには4ヶ村の屋台が集まるそうで、春日山のふもとにあった鍛冶屋屋台もその一つです。
大きな神社ですが、神社を囲む森には迫力がありました。

嶺雲寺

応永年間(1394~1428)に春日山城主後藤基阿によって建立されたと伝えられています。
門のそばの大きな木はクロガネモチの木で、福崎町の天然記念物と保存樹に指定されています。

春日山から少し南の方の姫路市南山田は後藤又兵衛出生の地とされています。
福崎町と姫路市北部の、この辺り一帯は後藤氏の縄張りだったのでしょう。

初代春日山城主の後藤基信は太平記に登場しています。
足利義詮と山名時氏らが戦った「神南の戦い」です。基信は足利義詮に味方していました。
太平記によると、基信は大きな岩の上に上がり、強弓で山名勢の前進を食い止める活躍します。
そして、声高らかに名乗りを上げて、数万の山名軍へ突入。討ち死にを遂げる。。。

すさまじい。
これぐらいの男でないと、初代城主にはなれないのかもしれません。
そして、この激しさは後藤又兵衛にも受け継がれたような気がしました。