岡山、倉敷、総社といった、かつての吉備地方には大きな古墳がいくつも残されています。
その中でも最も大きい造山古墳と陪塚の千足古墳を見物しました。
造山古墳

5世紀前半に作られた全長350メートル、高さ30メートルという巨大な造山古墳。
全国4位の大きさで、登れる古墳としては国内最大です。
1位 仁徳天皇陵古墳 全長486メートル
2位 応神天皇陵古墳 全長425メートル
3位 履中天皇陵古墳 全長385メートル
4位 造山古墳 全長350メートル
本当に大きいです。

こんなに大きなものを1600年前に造れたことに驚きます。
造山古墳ビジターセンターにあった資料によると、もともとあった山を削り、土を盛って3段にして、この形になったようです。
工期は10年以上、工事に携わったのべ人数は35万人を超えると推定されています。当時の人口を考えると超巨大プロジェクトです。
工事を指揮した人はたいへんだったと思います。字を書いたり読めたりする人もなく、紙もない。もちろんコンピューターなんかない。
どうやって工事をコントロールしたのでしょうか。
古墳の上は広々としています。
羽柴秀吉が備中に攻めてきて高松城を取り囲んだとき、高松城を救うためにやってきた毛利軍がここに陣城を築きました。

前方部には神社があります。
十分広いので神社も建設できますね。

神社の横に石棺が置かれています。
石をくり抜いて作られた舟形石棺です。
頭の方?には段差が付けられています。枕の代わりをさせているのかと思いました。
この石は熊本で産出された石で、直弧文という模様などから九州地域の石棺の特徴を持っているそうです。

ここに眠っている吉備の王様の名前はわかっていません。
3段に作られた造山古墳の斜面には葺石が敷かれ、各段には円筒埴輪がめぐらされていたといいます。膨大な枚数、個数だったでしょう。古代吉備にはたくさんの埴輪を生産する技術、財力があったということですね。
強大な権力を持った王様だったでしょう
発掘調査が進んで、もっといろいろなことがわかることを期待したいです。
千足古墳

造山古墳には6つの陪塚があり、その第5古墳が千足古墳です。
古墳の全長は81メートル。後円部の直径が63メートルという、前方部が短いほたて貝型古墳です。
きれいに整備され、前方部や墳頂には装飾の埴輪が置かれています。そして古墳内部に入ることができます。

さっそく中に入ってみました。
円墳の裏側に入口らしきドアがあります。誰もおらず、特に警備もされていないようでした。ここから入るのか?と思い、試しにドアを押してみたら開きました。

中は、少し下りの通路になっています。

ガラス板のところが行き止まりで、そこから玄室内部を見ることができました。
白い1枚物の石の向こうにある3枚に割れた石のところに埋葬者が眠っていたようです。
白い石は直弧文という文様が刻まれた石障という石で、九州から運ばれてきたものです。造山古墳の石棺と同じですね。
壁に積み重ねられた石は香川から運ばれてきた安山岩です。

吉備の王様は九州や四国と手広く交易をしていたようです。
造山古墳などの吉備の中心地は現代ではかなり内陸部にありますが、造山古墳が造られた頃は、JR山陽本線の南側は「吉備の穴海」という海でした。つまり、海岸が近く、海上交易をするのに都合が良かったのです。今は地形が完全に変わってしまい、全く想像できません。
造山古墳など、吉備に残る巨大古墳は吉備の輝かしい歴史ですね。