
新薬師寺を訪問しました。
薬師寺は西の京地区にありますが、新薬師寺は東大寺より南に下っていく、山の辺の道沿いにあります。
なぜ、新薬師寺なんだろう? 薬師寺と新薬師寺の違いは?と思い調べてみました。
薬師寺
天武天皇が皇后の鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)の病気平癒を願って創建された。
しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに崩御され、持統天皇(鵜野讃良皇女が天皇に即位)の時代に完成した。
平城京遷都により、現在地に移った。
新薬師寺
天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒のために、光明皇后によって建てられたと伝えられている。
創建当時は香山薬師寺、香楽寺とも呼ばれた。
薬師寺と新薬師寺には特別な関係はなさそうです。どちらの寺も薬師如来様を本尊としているのは同じですが、薬師寺は法相宗、新薬師寺は華厳宗と宗派も異なります。
また、新薬師寺の「新」は、新しい薬師寺ということではなく、霊験が「あらたか」ということを表しているそうです。
以前、薬師寺を訪問したことがあるので、新薬師寺も大きな敷地を持つ寺だろうと思っていましたが、違いました。
境内はこぢんまりとして、薬師寺にあったような壮麗な建物はありません。
山門の正面に端正な本堂(国宝)、右手に鐘楼、その反対側に地蔵堂があるぐらいです。

本堂横の入り口から中に入りました。
円形の基壇の中心に薬師如来様が本堂正面の外を向いて座っておられます。
大きな薬師如来様です。穏やかな顔をされています。
そして、薬師如来様をお守りする十二神将が基壇の周囲に並び立っています。
12人の神将たちは、それぞれ動作や所作が違い、生き生きと動きを持って表現されています。
髪を逆立てた伐折羅(ばざら)大将は、ドラゴンボールの悟空が強敵と戦うときにパワーアップしてサイヤ人になったときの姿のようです。これは逆で、伐折羅大将からアイディアを得てドラゴンボールになったのか。
この像たちが作られたときは極彩色に塗られていたそうです。
生気ある顔の色とりどりの服を着た十二神将を見ると、本当に生きていると思ったのではないでしょうか。
薬師如来の向かって右手に小さな仏像がありました。
香薬師如来立像といいます。聖武天皇、光明皇后の人物で白鳳彫刻の傑作ということですが、昭和18年(1943)に盗難にあったまま、現在も行方不明で、ここにあるのはレプリカです。幸い実物の型を取っていたので復元できたということですが、ひどいことをするやつがいますね。
この香薬師如来立像は昭和18年の盗難が3度目の盗難ということです。文化財を守るのもたいへんです。
鐘楼は鎌倉時代に建築されたものです。
中にある梵鐘は奈良時代に作られたのではないかと考えられており、日本で最も古い鐘の可能性があります。道場法師の鬼退治のエピソードにちなんだ鐘で、元興寺から移されたとも言われます。

境内にある石塔は実忠(じっちゅう)和尚御歯塔です。
実忠和尚は東大寺二月堂のお水取りを始めた方です。

古い寺だけあっていろいろなエピソードが残されています。
新薬師寺には、薬師寺のような派手さはありませんでしたが、落ち着きがある風情と仏像たちの素晴らしさで、たいへん楽しく拝観できました。