総社市・井山宝福寺と雪舟

岡山県総社市にある宝福寺を訪問しました。
画聖・雪舟が子供の頃に修行したという寺です。
雪舟は応永27年(1420)、備中赤浜(総社市)で生まれました。
現在、赤浜には雪舟遺跡公園が設けられ、園内に「画聖雪舟誕生碑」が建てられています。
また、遺跡公園から300メートルくらい北の県道180号線の前川沿いには「雪舟遺蹟碑」がありました。

画聖雪舟誕生碑
雪舟遺蹟碑

雪舟遺蹟碑から約7キロ離れたところに井山宝福寺があります。
天台宗の寺として創建され、鎌倉時代の貞永元年(1232)に当時の住職だった鈍庵和尚が臨済宗に改宗しました。

井山宝福寺山門

山門前には雪舟とねずみの像がありました。
雪舟とねずみの有名なエピソードを表しています。

雪舟とねずみの像

宝福寺の和尚さんは絵を描くことに夢中で、修行に専念しない雪舟を叱りつけ、寺の柱にくくりつけた。
涙を流した雪舟は、その涙を足の指につけてねずみを描きました。
許してやろうと、縄を解こうとした和尚さんが本物のねずみだと勘違いするほどの出来栄えでした。
雪舟の才能を認めた和尚さんは、雪舟に絵の修行をさせるために京都へ上らせた。

このエピソードは方丈堂内での出来事でした。
残念ながら、当時の方丈は天正3年(1575)の備中兵乱で焼失してしまい、雪舟がくくりつけられた柱は残っていません、

方丈

紅葉がきれいな境内には「雪舟禅師之碑」があります。
江戸時代の国文学者の藤井高尚が碑文を起草し、頼山陽が書いたものです。雪舟の偉大さは江戸時代から認識されていたのですね。

雪舟禅師之碑

山門の正面にある仏殿は江戸時代後期に再建されたものです。
「祈祷」という額は後水尾天皇のご直筆で、天井には大きな龍が描かれています。

仏殿
「祈祷」の額
龍の天井画

「祈祷」は鈍庵和尚のエピソードから取られたのでしょうか。
四条天皇がご病気の折、勅命を受けた鈍庵和尚が祈祷すると、7日満願の暁に客星が轟音とともに落ちてきて、天皇のご病気が平癒されたと伝えられています。

星が落ちて来たところを掘って井戸が造られ、その井戸は千尺井と名付けられました。井山宝福寺の山号「井山」はこの井戸が元になっています。

千尺井

境内で最も古いのは三重塔です。
三重塔は備中兵乱の兵火を逃れ、今に残っている約600年前の建物です。昭和2年には国宝の指定を受けましたが、戦後は重要文化財とされています。
秋の紅葉と三重塔の朱がきれいでした。

三重塔

雪舟の人生はわからないことも多いようですが、宝福寺から京都の相国寺に入り、周文に画を学びました。周文は足利将軍家の御用を務めた画家です。
雪舟の絵の才能を認めた和尚さんは良いところに雪舟を送り出してくれました。
その後、35歳ごろに周防(山口県)へ移り、48歳のときに明(中国)に渡りました。
50歳で豊後(大分県)に戻ったあと、石見(島根県)、美濃(岐阜県)、山口に移り住み、83〜87歳で亡くなったとされています。
令和2年(2020)は雪舟生誕600年でした。
雪舟は画を極めるために情熱と勇気を持って異国に渡った人でした。

雪舟遺跡公園の雪舟の像