奈良・崇道天皇社

崇道天皇社は街なかにあって、思ったより小さな神社でした。
大同元年(806)に平城天皇の勅命によって創建されたと伝えられています。
ご祭神は桓武天皇の弟、早良親王です。

早良親王は光仁天皇の皇子で桓武天皇の弟です。桓武天皇の皇太子に立てられました。
延暦4年(785)藤原種継の暗殺事件により淡路島へ流されます。
淡路島への途中、無実を訴える早良親王は絶食により亡くなり、淡路島に葬られました。
そして、早良親王の怨霊が現れます。

延暦4年(785)、早良親王に代わって安殿親王が皇太子になる。
延暦7年(788)、桓武天皇の夫人・藤原旅子が薨去。
延暦8年(789)、桓武天皇の母である高野新笠が病死。天然痘の流行。
延暦9年(790)、皇后・藤原乙牟漏が崩御。側室の坂上又子が逝去。皇太子・安殿親王が発症。
延暦11年(792)、皇太子・安殿親王の病気は早良親王の祟りが原因と診断される。長岡京が暴風雨に襲われる。
延暦13年(794)、京都へ遷都する(平安京)。
延暦19年(800)、早良親王に「崇道天皇」の号が贈られる。
延暦25年(806)、桓武天皇崩御。安殿親王が平城天皇として即位する。

平城天皇(安殿親王)は早良親王(崇道天皇)をお慰めするために、神社を建てて、おまつりされたのでしょうか。

高松宮殿下が来られていました。
崇道天皇をおまつりする神社だから来られたのだと思いますが、こんなに小さな神社にもおまいりされるとは、たいへんだなあと感じました。神社の大きさで、おまいりするかどうかを決めているわけではないと思いますが。
皇室には長い歴史があり、記録が残っているので、関係する神社や旧跡は本当にたくさんあるのだろうと思います。

本殿は、天正14年(1586)に春日大社若宮神社本殿として建てられたものを、元和9年(1623)に移築されたものです。
春日大社から移築されたものの中では最古のもので、貴重な建物だということでした。