温羅伝説 その2・戦いの場

吉備津彦命と温羅の戦いが始まりました。
二人が戦った跡が矢喰宮と鯉喰神社です。

吉備の中山に陣を構えた吉備津彦命が矢を放つと、温羅が投げた岩とぶつかり合う。
再び矢をつがえた吉備津彦命。今度は矢を2本つがえていた。
矢が放たれる。
一矢は温羅が投げた岩とぶつかって海中に落ちたが、もう一矢は温羅の左目に突き刺さった。
温羅の目からは川のように血が流れ、血吸川が生まれた。
雉になって山中に隠れる温羅。吉備津彦命は鷹となってこれを追う。
温羅は鯉になって血吸川に逃げたが、鵜に化身した吉備津彦命に捕まえられた。

矢喰宮

吉備津彦命の矢に対して、温羅は岩を投げて対抗しました。
矢と岩が空中でぶつかり、岩が落ちたところに建てられたのが矢喰宮と言われています。
矢喰宮は現在「矢喰の岩公園」として整備されています。
広い敷地のところどころに石が置かれている、特に遊具などもない公園です。

公園を奥に進んでいくと、古びた小さな石鳥居があり、そばには大きな岩が数個並んでいます。
温羅が投げたと伝えられる矢喰岩です。

こんなに大きな岩が数個、かたまってあることが不思議です。
自然のものか、それとも人がどこからか運んできて、ここに置いたのか。
この神社のために安置されたとは思えないし、なにかの役に立つものでもなさそうです。

吉備の国があった古代は、このあたりまで海が迫っていたようです。
そして温羅の目から溢れ出る血でできたという血吸川が近くを流れています。
血吸川の河口が矢喰宮のところであったときに、大洪水が起こって大きな岩が上流から流れてきた?
でもそんなことだったら、他にも岩はいっぱいありそうですね。

昔の人も、これらの大岩がなぜここにあるのかは不思議だったのではないかと思います。
その答えが、温羅が投げたという伝説になったのかもしれません。

鯉喰神社

鯉になった温羅を、鵜になった吉備津彦命が捕らえたという伝説の舞台が鯉喰神社です。
鯉喰神社は少し小高い丘の上にありますが、この丘は弥生時代の墳丘墓だそうです。

小さな神社です。
社殿は江戸時代に建てられたものだそうです。
神門をくぐって奥に進むと見慣れない絵馬がぶら下がっています。というか、絵がないので絵馬ではなさそうです。
ネットで調べると、これは「かえる竹札」というもので、絵馬の代わりに考案されたものでした。

鳥居のそばには立派な備前焼の2体の狛犬がいますが、そのうちの1体が2015年12月に盗難にあいました。でも、4月には狛犬を盗んだ犯人は逮捕され、狛犬は無事に帰ってきました。
「狛犬が返ってきたのは吉兆の証。ご利益を皆で分かち合おう」ということで「かえる竹札」が考案されたということでした。
狛犬の横にある台に竹札が用意され、願いを書いて奉納できるようになっています。

鯉喰神社が御鎮座されている弥生時代の墳丘墓は、東西約40メートル、南北約32メートルの長方形で、さらに突出部をもつと言われています。また、特殊器台、壺、弧帯文石が見つかっています。
これらは弥生時代最大の楯築遺跡と同様で、鯉喰神社の墳丘墓も弥生時代の王様の墓であった可能性があります。

墳丘墓の発掘調査は行われていないということです。神社があるので難しいのかもしれませんが、調査ができれば歴史を書き換えるようなことがわかるかもしれません。
なにか良い方法、例えば非破壊で調査ができればいいのですが。