ならまちに佇む元興寺。
日本最初の寺・法興寺が平城京に移されてできたのが元興寺で、「仏法元興の場 聖教最初の地」とされています。
崇峻天皇元年(588)、飛鳥の地に法興寺(飛鳥寺)が建立される。
和銅3年(710)、都が平城京に遷都。
養老2年(718)、法興寺が平城京に移され元興寺となる。
元興寺だけで1300年。その前身である法興寺から考えると1400年以上の歴史があります。

元興寺の東門を入ると正面にあるのは国宝・極楽堂(曼荼羅堂)です。
奈良時代の僧侶・智光法師が夢で見た極楽浄土の様子を描いた曼荼羅図(智光曼荼羅)を本尊としています。
寛元2年(1244)の再建という極楽堂は、元興寺の大講堂の一部を解体して建てられており、奈良時代の部材が使われているそうです。

禅室も国宝です。
禅室も鎌倉時代に再建されたものですが、極楽堂と同じく奈良時代の古い部材が多く利用されているそうです。

ここに来ると、みんな屋根を見上げます。
法興寺から移設された瓦が未だに残っているのです。
古い時代の瓦は「行基葺き」という方法で葺かれているために、デコボコした感じがあるのと、瓦の色が違っているので、この辺がそうなのだろうと見当がつきました。
しかし、飛鳥時代に作られた瓦がいまだに使われていることが信じられません。
瓦の寿命を調べてみると、瓦には耐久性があり50年以上は持つそうです。
それにしても1400年以上もの年月を耐えられるとは。
法興寺の瓦を作ったのは百済からきた瓦博士ということです。当時の日本には瓦を作る技術がなかったので、百済から瓦博士に来てもらったのだと思います。
百済からやってきた瓦博士(4人だったそうです)はどんな人たちだったのでしょうか。志願して日本にやってきたのかな。
自分たちが作った瓦が1400年以上使われて、その瓦を21世紀の人間が見上げているとは夢にも思わなかったでしょうね。

元興寺に伝わる寺宝を展示している法輪館に入りました。
まず、大きな五重小塔が目に入ります。
五重小塔は五重塔の模型のような感じです。
五重小塔は五重塔を建てるためのひな形であるという説もありましたが、現在ではこの説は否定されています。今のところ、五重小塔の制作目的は不明ということです。
法輪館では他にも聖徳太子の二歳像、十六歳像が印象に残りました。

たくさんの石塔が並べられた浮図田は、昭和63年(1988)にこの形になりました。浮図田とは、浮図とは仏陀を意味し、仏像や仏塔が稲田のごとく並ぶ場所という意味があるそうです。
数は2500余基もあり、鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多いとのことです。

かえる石は大阪夏の陣で自決した淀君の霊がついているらしいです。
かえる石はもともと淀川の川岸にあり、大阪城の堀で溺死した死体はすべてかえる石付近に流れついたとか。
長らく行方不明になっていましたが、昭和32年(1957)に再発見され元興寺に運ばれました。
毎年7月7日に供養されているそうで、元興寺に置かれてからは、恐ろしい現象は起きていないそうです。

元興寺には古いものがたくさん残っていてすごいですね。
飛鳥時代の瓦、奈良時代の建物。
現在に至るまでいろいろあったと思いますが、よくぞ残してくれました。
感謝したいと思います。
そして、これからもずっと伝え続けられていくことを期待したいです。