真田丸

慶長19年(1614)の冬。大阪方10万と徳川方30万の大軍勢が戦う大阪冬の陣が繰り広げられました。高野山九度山に蟄居させられていた真田信繁(幸村)は九度山を脱出し、大阪城へ入城。
真田山に砦・真田丸を築き徳川軍に大勝利を収めます。

今回は真田幸村にまつわる史跡が残る真田山周辺を巡ってみました。

三光神社

三光神社の元の名前は姫山神社といい、第18代反正天皇の御代に創建されたと伝えられています。
反正天皇は5世紀前半に実在したと考えられている天皇で、今から1600年前の時代です。
三光神社には神職として武内宿禰命の子孫である武川氏が86代にわたって務められたそうです。1代20年とすると1600年。
すごい歴史ですね。

境内にあった幟は六文銭の真田丸。
三光神社のある真田山は大阪冬の陣で真田幸村が戦った真田丸があった場所です。
真田幸村の力強い像が建てられていました。

像の後ろには「真田の抜け穴」があります。
約1.5キロ離れた大阪城につながっていたという穴です。
この穴はどこまで続いているのでしょうか。本当に大阪城まで続いていたら面白いのですが。
実際には真田丸は土橋で大阪城と結ばれていたようです。

心眼寺

心眼寺には真田幸村のお墓がありました。
ここでは「真田幸村」ではなく、「真田信繁」と刻まれています。幸村自身、生前は「幸村」と名乗ったことはなかったようです。

心眼寺は真田幸村が真田丸を築いたときに真田丸に取り込まれてしまい、戦後真田丸が破却されたときに一緒に取り壊されてしまいました。その後、真田幸村、大助親子の菩提を弔うために再建されています。

真田丸顕彰碑

大阪明星学園のグランドそばに真田丸顕彰碑が建てられています。
元禄年間に作成された絵図によると明星学園のグランドが真田丸の跡地だそうです。