
大阪市平野区にある志紀長吉神社は延暦13年(794)に創建されたという歴史ある神社です。
御祭神は長江襲津彦命(ながえそつひこのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)で、災難から身を守り、長寿または戦いを勝ち抜き勝運の導きを守護する神様とのことです。
事代主命はポピュラーで多くの神社でお祭りされていますが、長江襲津彦命はそうではありません。
調べてみると、長江襲津彦命は応神天皇、仁徳天皇の時代に朝鮮との外交で活躍した人物で、実在したと考えられているようです。応神天皇、仁徳天皇の時代は大阪(難波)に王宮が築かれていました。長江襲津彦命は河内を支配した豪族で天皇に協力していたのかもしれません。

でも、そういう古い時代のことは抜きにして、境内は真田幸村一色でした。
奉納された真っ赤な六文銭の真田の旗が林立しています。

慶長20年(1615年)5月6日、大阪夏の陣、道明寺の戦いの後に真田幸村は志紀長吉神社に立ち寄り、戦勝を祈願して旗と刀を奉納して馬場で休息しました。
真田幸村が休息したという場所が神社から少し離れた場所にあり、石碑が建っています。

道明寺の戦いでは大阪方の後藤又兵衛が討ち死にするなど徳川方の勝利に終わりました。
そして、翌日の5月7日に最後の決戦、茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)が行われ、真田幸村は討ち死にを遂げます。
神社で体を休め、旗や刀を奉納したとき、真田幸村は明日の戦いをどう考えていたのでしょうか。

碑の裏面に「御神徳を讃え奉りて幸村 家が思う心の内の霧晴れて神の利益に任せこそすれ」と記されています。
不安や功名心などの雑念が消えて、最後の戦いに向けた覚悟が整った心境を表しているようです。
このとき奉納された旗は社宝として残っており、正月2日、3日と5月4日に公開されます。刀は残念なことに太平洋戦争後、GHQに没収されたそうです。