
淡路市多賀に御鎮座される伊弉諾神宮は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とし、伊弉諾尊が鎮まったという幽宮(かくりのみや)を起源にしているといいます。
イザナギとイザナミが国を生んだ話や、イザナギが黄泉の世界から逃げ帰ったところまでは知っていたのですが、その後のことは知りませんでした。
淡路島誕生
天之瓊矛(あめのぬぼこ)を授かったイザナギとイザナミが天浮橋(あめのうきはし)から天の沼矛で下界をかき混ぜ、引き上げた矛先から滴り落ちた塩のしずくが固まってオノコロ島(淡路島)ができました。
国生み
島に降り立った2柱の神様は夫婦になります。
「汝が身はいかに成れる」とイザナギがたずねると、「吾が身は成り成りて、成り合わぬところ、一処あり」と答えるイザナミ。
「我が身は成り成りて、成り余れるところ、一処あり。この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎ、国土生み成さむと思ほすはいかに」というイザナギの誘いに、「然るに善けむ」と言うイザナミ。
イザナギとイザナミは夫婦になられて、日本の島々をお生みになりました。
別れ
火の神様・カグツチをお生みになられた伊弉冉尊は陰部にやけどを負い亡くなります。
イザナギはイザナミに会いに黄泉の国に行きました。
ところが、腐敗したイザナミの死体を見たイザナギは恐ろしさで逃げ出します。
イザナミは怒り、イザナギを追いかけました。
逃げるイザナギは黄泉の国と地上の国の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)を千人所引(ちびき)の磐石(いわ)でふさぎ、離縁を言い渡した(事戸渡し/絶妻之誓建)。
日本で最初の離婚ですね。
事戸渡しは死者への別れの宣言でもあるようです。
その後
禊をして黄泉の国の汚れを落とした伊弉諾尊から天照大神、須佐之男命、月読命(つくよみのみこと)が生まれます。天照大神に高天原の統治を託し、月読命には夜の食国の統治を託し、須佐之男命には海原の統治を託した。
そして淡路の地に幽宮を構えた。
伊弉諾尊は淡路島で亡くなったようです。

参拝した日は天気も良く、たくさん観光客で賑わっていました。
本殿は改修工事中で覆いがかけられていたので見ることはできませんでしたが、中では結婚式が行われていました。
境内には夫婦大楠という樹齢900年の御神木があります。
イザナギと伊邪那美神様が宿っているとかで、2本の大楠が根元で一つになっています。
夫婦円満、良縁縁結び、子授け、子育てに霊験あらたかとのこと。
いつまでも、こんなふうに寄り添っていられたらいいですね。


少し離れたところに陸軍中将・樋口季一郎の像が立っています。樋口中将は淡路島の出身です。
ユダヤ人難民を救い、キスカ島撤退作戦を成功させ、太平洋戦争終了後(8月17日)に襲ってきたソ連軍と戦いました(占守島の戦い)。

頭髪感謝碑というのもあります。
髪は神に通じると、育毛のリーブ21が中心となって作られたようです。
私も自分の髪の毛を大事にしなくてはと思い、なでておきました。

伊弉諾神社は淡路島が真っ先にできたという神話から来ているものだと思っていましたが、伊弉諾尊の最期に関わる神社だとは知りませんでした。
本当に幽宮というのがあったのなら、その創建は神代の時代までさかのぼり、伊弉諾神宮は日本最古の神社なのかもしれません。