鎌倉大仏

鎌倉大仏を見に行きました。
大仏が安置されている高徳院まで、長谷寺駅から徒歩で約10分です。

「大異山」と書かれた山門をくぐって進むと大きな大仏様があらわれます。
奈良の大仏と違って、鎌倉大仏には大仏殿がありません。
脇侍もおらず、一人で座っておられます。

大きさは座高11.3メートル、重量121トン。
奈良の大仏は高さ約14.9メートルなので、一回り小さい。

与謝野晶子の歌碑があります。

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな

大仏様は美男子という評価です。

ちょっとエラが張っているかのようですが、ふくよかな感じのお顔。
細い眉、大きな目、筋が通った鼻。細く口ひげをはやしておられます。
確かにハンサムだと思いました。

大仏様はどっしりとお座りになり、手は「弥陀定印」という印相を結んでいます。
これは、阿弥陀如来が極楽浄土で衆生を迎え入れる慈悲と救済の象徴とされています。
大仏様の正式名称は「銅造阿弥陀如来坐像」。大仏様は阿弥陀如来でした。

横に回ってみると、背が丸く、ちょっと猫背です。
猫背になっている方が、正面から見たときに見栄えがするのかな。

「胎内めぐり」をしました。
お寺の「胎内くぐり」で真っ暗闇の中を歩いたことがありますが、この胎内めぐりはそういうものではありません。
本当に大仏様の体の中に入るのです。

大仏様の体内に特別なものがあるわけではありませんでしたが、内側が空洞であることを改めて実感しました。外側からはわからない鋳造過程でできた像のつなぎ目も確認することができました。

説明板によると高度な技法が使われているそうです。

  • 像が大きいので30回以上に分けて鋳造した。
  • 鋳型を多数並べて重ねていった。
  • 分けて鋳造したところをつなぐ(鋳継ぎ)ために「鋳繰り(いからくり)」という技術が使われている。
  • 「鋳繰り」も腹部や背中、胴部、肩と部位によってやり方を変えている。

しっかりした技術があればこそ、これだけの大きな像が造れたのでした。

そんな大仏様ですが、最初は木製で、大仏殿も造られていたようです。

嘉禎4年(1238)、僧・浄光の勧進によって造立が始められる。
仁治2年(1241)、大仏殿が棟上げ。
寛元元年(1243)、開眼供養。このときは木造だった。
建長4年(1252)、銅像に鋳始める。
銅像の完成は不明だが、文永5年(1268)には完成したと推測されている。
建武2年(1335)、強風で大仏殿が倒壊(太平記)。
文明18年(1486)、大仏殿は存在せず(無堂宇而露坐)(梅花無尽蔵)
明応4年(1495)、明応の大地震によって大仏殿が崩壊(鎌倉大日記)。

倒壊した大仏殿は再建されることはありませんでした。
しかし大仏殿が再建されていたら、奈良の大仏のように戦火に巻き込まれ、焼失していた可能性もあります。制作当時の姿が今まで伝わってきたことを考えると、大仏殿がない現在の形こそが良かったのかもしれません。

500年以上の長い年月を、風雨に耐え、お一人でずっと鎮座されている大仏様。
これからもそのお姿を見せ続けてくれるでしょう。