温羅伝説 その四・温羅の死

吉備津彦命との戦いに敗れた温羅は死を迎えます。
温羅の死体についての伝説が伝えられている3つの神社があります。

  • 打ち落とされた温羅の首がさらされたという白山神社。
  • 温羅の首とその妻の首を石棺に納めたという青稜神社(あおはかじんじゃ)。
  • 温羅の胴体が埋葬されたという艮御崎神社(うしとらおんざきじんじゃ)。

白山神社

温羅を討ち取った吉備津彦命が、その首をさらしたという白山神社です。
「さらされた首が大声で唸るようになり、何年も何年も唸り続けた」とされています。
白山神社が御鎮座されているのは岡山市北区首部(こうべ)。いかにも首と関係がありそうな地名です。しかし、神社の創建は平安時代の仁和年間(885〜889)なので、温羅の首がさらされた頃には白山神社はありませんでした。

さほど広くない境内の片隅に丸いものがあります。
これは「米塚」といい、首をさらされた温羅をおまつりしています。

神社の説明板には次のように述べられています。

米神は、伝説の温羅を御祭神、鬼神首塚(きしんくびつか)としてお祀りしています。このことからこの地を首部(こうべ)と称しています。
米神には、「命から鬼と恐れられた温羅は、実は心優しい青年で、朝鮮半島からたたら製鉄技術を持ち込み、農民に農耕の道具、鍬や鋤などを広め、農業の発展に力の限りを尽くしたのです。やがて、吉備の国は豊かな米どころとなり、温羅は農民から大変感謝され、功績をたたえられ、米の神として祀られました」とのいわれがあります。

境内の説明板より

ここでは、温羅は吉備の人々を助ける英雄でした。
温羅伝説は鬼をやっつけてハッピーで終わる桃太郎とは異なります。
吉備を発展させた温羅が、大和からやってきた吉備津彦に敗れる。唸り続けた首は、征服された地元民の声を表しているのかもしれません。
※吉備津彦命は温羅を退治して吉備を治めるようになったあとに付けられた名前です。もともとは第7代天皇・孝霊天皇の皇子・彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)で、日本を平定するために派遣された四道将軍の一人といいます。

青稜神社

岡山市北区谷万成にある青稜神社(あおはかじんじゃ)には温羅の首とその妻の首が葬られているという言い伝えがあります。
古墳時代前期の築造という前方後円墳の上に建てられた神社の境内はさほど広くはありません。
境内にある説明板には下記のことが記されていました。

  • 今から1700年前、吉備津彦命は鬼ノ城を攻め落とし、温羅とその妻の首を持ち帰り、谷万成の岡の辻と首部の坊主山に埋葬した。
  • ところが、夜になると坊主山からうめき声が聞こえて眠れなくなったので、それぞれの首を掘り返し、石棺を作り丁重に埋葬した。
  • すると、うめき声は消え、翌年からこの地方では豊作が続いた。そのため、この地を万成(まんなり)と名付けた。

温羅の首がさらされた白山神社と青稜神社の間は500メートルほどの距離しかありません。温羅は妻の首に聞こえるように大きなうめき声をたてたのかもしれませんね。

社殿の横に石棺がありました。しっかり蓋がされた石棺です。
この古墳は3世紀後半から4世紀の古墳時代前期の築造なので、崇神10年に派遣された(日本書紀)という吉備津彦命の時代にあっています。
ここに眠っていたのは古代吉備王国の王様だったのでしょうか。それとも温羅と妻の首が納められていたのでしょうか。

境内の説明板の最後には、「御祭神は吉備津彦命のご舎弟硫王で、温羅夫婦は五穀豊穣の守護神として併祀されている」とありました。
この地に豊作をもたらした温羅は、ここでも吉備の人々を助ける存在のようでした。

艮御崎神社

岡山市北区辛川市場の小丸山にある艮御崎神社(うしとらおんざきじんじゃ)には、温羅の胴体が埋葬されたという伝説があります。
小丸山は高さ10メートルほどの小さな丘です。
前方後円墳と伝えられていましたが、古墳を裏付けるものは発見されておらず、城砦もしくは土塁跡の可能性が高いとされています。
艮御崎神社は小丸山の頂上に建っているのですが、温羅との関連を示すものは何もありませんでした。

温羅を退治した吉備津彦命をご祭神とする吉備津神社本殿の四隅にはそれぞれ御崎神社があるそうです。そして、丑寅(北東)の位置にあるのが艮宮(うしとらぐう)で、温羅がおまつりされているといわれています。
小丸山は吉備津神社から北東(丑寅)の方角に位置しています。吉備津彦神社から勧請した艮御崎神社を小丸山に建てることで、温羅をおまつりすることを意図したのかもしれません。

訪れた日は、うららかな春の日差しが降り注ぎ、桜が満開を迎えていました。小丸山に隣接した中学校のグラウンドでは野球部が試合をしていました。平和です。
白山神社や青稜神社を訪問して、鬼とされた温羅が吉備の人々を助けた英雄だったとされていることを知ることができました。この艮御崎神社も、温羅への感謝と祈りを込めて建てられたのかもしれません。