吉野千本桜

吉野山の千本桜を見に行きました。
といっても、少し時期が早かったので、桜は三分咲きで雨模様の日でした。

コンディションの悪い日にもかかわらず、たくさんの観光客が来られていました。
参道の両脇にはたくさんの店が並んでいます。桜がなくても、店を見ながら歩くのは楽しいですね。
途中、狐の面をつけた男が栗を焼いていました。店の雰囲気、服装が狐の面とマッチしていて、狐そのもののように感じました。

黒門

先に進むと金峯山寺の黒門が現れました。
金峯山寺の総門で、吉野山の関所の役割をしていたそうです。

銅の鳥居

次は銅の鳥居です。「かねのとりい」と読みます。
東大寺の大仏を作ったときに、余った銅を利用して建立されたという言い伝えがあります。
太平記によれば正平3年・貞和4年(1348)、高師直の兵火により焼け落ちたとされています。
高師直はここまで攻めてきたのですね。
この年、高師直は四條畷の戦いで楠木正行を打ち取り、南朝方を追い詰めていました。

金峯山寺

仁王門は保存修理工事中で見ることはできませんでした。令和28年(2028)に完成予定です。
国宝の蔵王堂では「秘仏ご本尊御開帳」が行われていて、ご本尊の金剛蔵王大権現3体を見ることができました。
青いお顔をした大権現様は本当に大きくて圧巻でした。思わず手を合わせてしまいました。
安土桃山時代に再建されたという蔵王堂も大きい。特に屋根が大きいと思いました。
2階建てのように見えますが、下の屋根は裳階(もこし)と言って、風雨から建物を守るために付けられたものでした。

吉水神社

明治維新前までは吉水院と呼ばれていました。南北朝時代は南朝の皇居で、豊臣秀吉が吉野山で花見を催したときは本陣となりました。
建物は鎌倉時代に造られた日本最古の書院建築で、後醍醐天皇の玉座の間や源義経が潜居したと伝えられる間があります。

源義経、弁慶、後醍醐天皇、豊臣秀吉らが残した文化財がシンプルなガラスケースの中に展示されています。
有名な人達が残した品々がたくさん残っていることに感心してしまいました。

義経が所持していたという鎧は小さいです。義経は小柄だったのだと思わせます。
伝説の人物である蝉丸の琵琶には驚きました。蝉丸は百人一首にも選ばれている歌人で、琵琶の名手とされていますが、実在については諸説あります。蝉丸は本当に実在したのでしょうか。

兄の源頼朝に追われた義経は吉水院に5日間隠れ、ここで静御前と別れました。足利尊氏と対立した後醍醐天皇も京から逃げてきて吉水院に入りました。
役行者が創建したという吉水院は敗者も受け入れる場でもあったようです。金峯山寺の僧たちも協力したのでしょう。
逃げてきた者を捕らえて突き出したほうが得だったのではないかと想像しますが、そうしなかった理由を知りたいと思いました。